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短歌を始めた季節
私が短歌を始めたきっかけについて、2020年に書きかけた文章があったので、載せます。今は2024年なので、全部あわせて数えると、2017年は7年前のことになりました。
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ちょうど三年前(2017)の今くらい(この文章を書いたのが2020年8月)から、短歌を始めた。たまたま、失恋の直後というタイミングに、職場の同僚が新聞に俳句を投稿して掲載されたのを聞き、そういう趣味もあるのかと思ったのがきっかけだった。
黙っているだけでは抱えきれなかった感情があふれる場所を探していた時期だったので、五七五七七の定型に言葉を合わせていく作業は気持ちの整理にもなった。
後追いで投稿して、もし、うまくいってしまったら、俳句をやっている同僚に悪いような、図々しい予感もしていた。一緒の「俳句」ではなく、すこしずらして「短歌」を標的にしたのも、感情の表現としては適していたようである。
とにかく、文字数さえ合わせて形にしながら、スマホの中のEvernote(※当時は使っていた。今はOnenoteを使っている)にたくさん作った。失恋にまつわる気持ちも収めたが、日々のなかで感じることの歌も作ってみたりした。
五十首くらい作ったころだろうか、この趣味が、いったいいつまで続くかどうかわからないけれど、せっかく作品ができたのだから、投稿してみたい気持ちになった。
そうして、投稿した一首が、日本経済新聞の歌壇に掲載されたのが、十月の半ばである。
ラッキーなことに、二席に採ってもらえて、選者の穂村弘さんからの評までついた。他の人から感想をもらうこと自体、それが初めてで、大変うれしかった。今思えばたいへん贅沢なきっかけだが、それを理由に添削の通信講座を受けてみることにした(※ふつうは順番が逆だと思います)。
失恋にまつわる歌は沢山できていたので、まとめて連作に構成した。本来の連作の作り方からしたら、いいかげんな作り方かもしれなかったが、後でみてもあまり恨みがましくならないような歌、相手のことはともかくとして、自分が自分として思った悲しさの局面に焦点をあてた歌を残して、十五首のストーリーに並べて応募した。投稿料も五千円、かかるのに、である。ちょっとやけっぱちな気持ちもあった。
そうしたら、これも十二月に入選内定通知が来てしまったのである。
へんな予感と期待はないわけでもなかったが、十分とはいえない準備や勉強があるわけでもないので、「これは、筋がいいのかな?」と思った。勉強は後追いになるけれど、まずは三年やってみたら、どうなるか、やってみようかと思った。
そのころ買ったNHK短歌のテキストに、穂村弘さんと知花くららさんの対談が載っていて、「まずは三年やってみてください」と永田和宏先生がくららさんに言ったエピソードがあったからだ。私はとても角川短歌賞の次席に入ったりはしなかったが(まぁ、ふつうは難しいですよね)、そんなものかなと思って三年くらいを節目にしたいと思った。
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あと、以下のように、Twitterでつぶやいたこともあります。
20代の頃は実は合わない上司の趣味だったので、どちらかというと冷ややかに傍観。40代になってお喋りがはずむ同僚の「俳句」投稿をきっかけに日経歌壇を発見して好転。 自分の投稿がたまたま入選したので、趣味としての語学の勉強より向いてると思い始めてその気になった。