NFT「遠い幻影」シリーズに込めた想いと展望
こんにちは、深名えじです。
この記事にたどり着いてくださり、ありがとうございます。
私は現在NFTコレクション「遠い幻影」シリーズを運営したり、小説を執筆したりしています。好きなものは中国思想や漢詩、禅や日本の和柄、古典文学など、とにかく東洋文化です!(でも結局は面白ければ何でもありです)
このノートでは、私の創作活動全般の話も交えながら、「遠い幻影」シリーズで何を伝えたいのか、なぜ今私が「遠い幻影」シリーズをやる必要があるのか、その熱意をお伝えできたらなと思います。
今私が取り組んでいること①NFT「遠い幻影」シリーズ
まず、絵の方の活動として、「遠い幻影」シリーズをNFTコレクションとして展開しています。
販売状況としては、初めて5日目に#01をお迎えいただきました💠
このシリーズは、望遠鏡越しに見える、遠いけれどどこか懐かしい不思議なお花や景色を集めたものです。幻影とは、心の中に描き出される心象風景のことです。心の中を望遠鏡越しに観察してみようと言うのがテーマです。
ではまず、なぜ花がモチーフなのかについて。
皆さんは、禅の問答に出てくるこの一説をご存知でしょうか。
これは、花は春が来ると、誰のためでもなく咲き誇ると言う意味です。
お花を見ると無条件に癒されますよね。誰かに好かれるためでもなく、ただただ自分の持つものを最大限使って、時が来たら花ひらく、そして他者に与える、という花のあるがままの自然な生き方を理解した時、これは私の目指す、人間が人間性を発揮して情緒豊かに生きる生き方そのものだと思いました。
そういう意味では、お花たちは生き方について、よっぽど人間より賢いのかも知れません。自然という存在の大きさをこういうところでも感じますね。
だから、そんなふうに美しく咲く花たちに、人間性豊かな人間の生き様や人生哲学を託して表現してみたいと思いました。
ではなぜその景色を望遠鏡のレンズ越しに眺めてみようと思ったかというと、NFTの特徴としてわかりやすい記名性がある方が人気があるので、そう言った何かが欲しいと思った時に、丸い枠を思いつき、自然と望遠鏡を覗く絵になりました。
後付けでより深く解釈するならば、「現実をファンタジーに置き換え俯瞰することで、本質を炙り出す」という表現主義が自分の軸だからかなと思います。だから、見たことのないファンタジーな世界を遠くから俯瞰することで、目の前の現実を見つめることをしたかったのではないかと今は捉えています。
ファンタジーで現実を考える!?と混乱された方もいるかもしれません。
説明すると、ファンタジーを忘れて現実を突き詰めすぎることってとても恐ろしいことだと思うんです。無駄をなくしていったり、失敗が許されなくなっていったり、心の余裕がなくなっていったり、、、。終いには愛を忘れることでしょう。どんどん人間が愛や生まれた意味や人間そのものの本質、つまり人間性から離れていってしまう気がしてしまいます。むしろそういった本質を見失った現実の方が、非現実的で表面的でふわふわとしたファンタジーのように思えます。なぜなら、そうやって人間性が喪失されて、全く存在が活かされずもったいないことになってしまうのです。全てが嘘っぽいんです。
だからこそ、本質を見抜くために、現実を現実的に眺めるのではなくて、ファンタジーに置き換えてみたいんです。
私はファンタジーが好きですが、極めて厳格な現実主義だと思います笑。結局地に足がついたファンタジーは目の前の現実を捉えるための手段に過ぎないので。
だから、私は歴史上の人物と本物のファンタジーの中の登場人物の間に大した差異はないと思います。確かに物理的に実在しているかどうかで区別できますが、その違いがどうでも良くなるほど、どちらもちゃんと命が宿っている存在です。
ちょっと話がそれましたが、まとめると、
最後に
正直かなり長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました!
さらに、今後は、ここでNFTの作品紹介をする予定です。お見逃しなく🎈
ではまたどこかでお会いしましょう!☁️
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?