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チャイルドペナルティ〜私の育児(過去形)〜

NHKのニュース記事で女性が子供を持つと「ペナルティ」を課せられたように、ポジションや給料も上がらない、というレポートでした。
ちょうど「虎に翼」で昭和40年代に女性が裁判官の資質に欠ける理由として、生理休暇や出産休暇をとるのでその分が男職員に皺寄せがいくから、
と聞いて寅子や同業の女性たちが許せないと怒っていた。
その時代から50年以上経っているのに、同じ日にチャイルドペナルティなんて記事を読んで、
日本の働き方がなかなか変わらないことに苛立ちを感じました。

私の育休、育児

私が育休をとっていたのはもう、20年も前。
その娘も今では親のことなんてどーでも良いようで、
自由奔放に遊びまくっている🤣🤣

私が2回育休を取ったけど、
次女の時は11月生まれの娘が4月入園で保育園に入るまでの4ヶ月くらいで、
時短は30分時短で1年くらいだったかな、

育休明けで職場復帰すると、みんなに遅れを取らないようにとか、一人前の仕事ができるようにと自分にプレッシャーかけて、しんどかったな。
私の職場も残業多めなので、時短で帰るときには「すみません」を繰り返して、退社して大急ぎで保育園に向かう。
子供が熱出したら、頭下げながら「すみません、休ませてもらいます」って、電話してたな。
いつもすみませんって、謝ってたな。
その頃は会社でリモートワークやチャット連絡とかなかった。出勤することがマストの時代。

私は一人前に仕事することにこだわりが強く、時短で早く帰るのが嫌だった。
それで娘が一歳になった頃から、延長保育を利用して定時まで働くことにした。

それでもなんとか家→保育園→仕事のルーティンをまわせてたのは、
夫が次女が一歳になった頃に、独立開業し、家で仕事をするようになったので、
私と娘たちが家に帰ってからの晩御飯やその後の寝かしつけまで、夫と二人でできたからだった。

次女は「魔の2歳児」だった、
だから、私も鬼になることが多々あった。
次女は今も魔の大学生だけど(笑)

夫と二人で協力しての育児、時々お義母さんのサポートと私は子育て環境としては恵まれていました。

それが、次女が3歳の時に夫が突然脳出血で倒れ、命は助かったけれど、6ヶ月の入院、退院後も半身麻痺や失語症がのこり、精神的にも不安定になってしまいました。
育児ルーティンはうまく回らなくなってしまったのでした。

続きは来週に。

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