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材料選びから盛り付けまで、あなたの文章を美味しくする方法

「料理」と「文章」は、構造がよく似ています。
料理は、「食材」「献立」「盛付」の順で作られ、文章は、「情報」「思索」「表現」の順で作られます。

美味しい料理を作りたければ、良い食材を仕入れるか、調理の腕を上げるか、もしくは、盛り付けを美しく見せるか、です。これを文章に置き換えれば、優れた文章を書きたければ、良い情報を仕入れるか、人と違った考えをするか、表現を工夫するか、です。

なぜ、こんなアナロジーを用いたのか。文章についてストレートに考察するよりも、何かに置き換えたほうが本質に迫れると考えたからです。

「食材は情報」「献立は思索」「盛付は表現」に置き換え、文章を捉え直していきましょう。


食材(情報)で差をつける

良い食材とは何か? 自分が料理人だと思い、考えてみてください。
私が考えるに、良い食材は5種類あると考えます。

①旬のもの
②自分で育てたもの
③珍しいもの
④天然のもの
⑤身体に良いもの

もちろん、あなたが考える良い食材があるかも知れませんが、今回は私が考えた食材を例に、アナロジーして文章の理解を深めていきます。
では、先の5種類を文章に当てはめてみましょう。


①旬のもの

旬の食材を用いた料理は、料理の基本とも言えます。情報も同様に、旬(今話題)のネタを扱うのはコンテンツの王道です。

「情報は生モノ」といった言葉がある通り、情報の中には「鮮度」が命になるものもあります。旬のネタを扱った文章を書くのであれば、早ければ早いほどその価値は高くなります。

旬にちなんで、もう一つ似たようなものがあります。それは、「季節の先取り」です。

地元以外の食材を取り寄せて季節を先取りした料理を提供するお店があります。客もひと足早く季節を楽しむことができ、口福にあずかれます。

昔、印象深い記事を見ました。タイトルは「なぜ、Windows8は失敗したのか」です。面白いのは、まだWindows8が発売される前にその記事がWebに上がっていたことです。他にも、漫画やドラマの話の続きを予測したり推理するブログやYouTubeも注目を集めることがあります。旬を扱うのは当然として、先取りするのも一考です。


②自分で育てたもの

自分で育てた食材を使った料理は、格別なものがあります。これを情報に置き換えたら何になるでしょうか。私は「やってみた系」がそれに当たると思います。

「やってみた系」といえば、YouTubeの動画コンテンツを思い浮かべる人も多いでしょうが、実は文筆でも「やってみた系」はありました。
キャッチセールス潜入ルポを記した書籍『ついていったら、こうなった』(彩図社・多田文明)があります。私はそれを読み、お腹を抱えて笑ったのを覚えています。

他人がやったことがないような面白い企画を考えて、それを自ら実行する。これが人を引きつける自分で育てた情報になります。

「やってみた系」は、企画力も当然のことながら、羞恥心を捨てる覚悟と実行に移す度胸がないとできません。もしそれらを持ち合わせているのであれば、あなたは他者よりも才能(アドバンテージ)を有しています。

YouTubeをはじめ、個人が表現できる場が増えたことにより、才能を持つ人たちが日の目を見るようになりました。特に「やってみた系」は文章よりも動画との相性がいいです。競争は厳しいですが、才能を開花させる機会が増えたことは素晴らしいことだと私は思います。


③珍しいもの

いわゆる珍味、というやつです。情報に置き換えれば、「ここだけの話……」「地元の人しか知らない話……」など、一部の人間しか知りえない情報や常識に当たります。

読売テレビの番組『ケンミン show極』はまさにこの類です。県民からすれば当たり前のでも、他県民からは一風変わった常識に見えることがあります。ほか、業界や身内話でも、他から見たら一風変わっている常識が意外とあるものです。

私はKindle Unlimited対象のコミックエッセイを好んで読むのですが、リリースされているエッセイの殆どは、この珍しい食材(情報)がネタです。自分が関わる仕事(業界)の内情を描いたもの、病気になった体験を描いたもの、外国人から見た日本を描いたもの、など、なかなか経験することができない話をネタにエッセイにしています。

体験をネタにするという意味では、「やってみた系」と似ていますが、大きく異なる点があります。やってみた系は、ネタ作りのために積極的に体験しに行きますが、珍しい体験はそうではありません。たまたまその業界に関わり、たまたまその病気になり、それをネタにしているのです。

あなたが今までしてきた仕事や体験の中に、もしかしたら、人から見たら興味を引く珍しいネタがあるかもしれません。何かしらの形にして世に出してみるのもよいかもしれませんね。


④天然もの

あなたは北海道で「いくら」を食べたこがありますか? 私はあります。苦味が一切なく、甘いのです。「今まで俺が食べていたのは、何だったのか!」と衝撃を受けました。

スーパーで売られているいくらには苦味があります。この苦味は鮮度や産地の違いからくるものではなく、添加物からくるものだと後で知りました。私は今まで、ある種の偽物のいくらを食べていたわけです。

ネット上には、「これこそが真実」といった情報で溢れています。いわゆる「ネットDE真実」です。多くの場合は、信じたいものを信じているだけでしょうが、「本物(真実)」には、ある種の魅力があるのは確かのようです。

「真実を知りたい」は、「騙されたくない」の裏返しとも言えます。真実を知ってはじめて、自分は騙されていた事実に気づくのです。そう、私が北海道のいくらを食べた時のように。

この世は嘘でまみれています。私はいろいろな業界の人と関わることがあるのですが、仲良くなると必ずある質問をします。「業界の裏話はありますか?」「あなたの業界のことで、世間が誤解している事実ってありますか?」と。

すると、「実はね、○○って□□に思われているけど、本当は△△なんだよ」とか「この間ニュースになった○○、あんなの氷山の一角だよ」「有名なあの会社の社長、実は裏で……」といった話が出てきます。

おそらく、読者の中にも、「自分のいる業界でも、知られていない事実があるな」とお感じになっている方もいるでしょう。

こういった真実の情報を人は欲しています。身近なものから世間を揺るがすようなものまで大小様々なものがあるでしょう。

「真実」は、人の関心をわし掴みにする極上のネタだと覚えておいてください。


⑤健康に良いもの

毎日の食事で気をつけたいのが健康面です。料理でいう健康に良い食材は、情報では何に置き換えられるのか。それは「お役立ち」です。

Webで集客するためには、一にも二にもこのお役立ち情報をいかに上手にかけるかにかかっています。しかし、お役立ち情報は多くの人が書くため、似たような記事になりがちです。

そこで誰もが差別化を図ろうとします。ここでよくある手が、量による差別化です。Aサイトが「キャッチコピー7つの書き方」と書けば、Bサイトは「キャッチコピーの書き方15のパターン」といったように、数を多くしてきます。ですが、量による差別化はユーザーにとって必ずしも有益とは限りません。数が多くなりすぎるとかえって混乱を招くこともあるからです。

そこで、情報を目的別に細分化していきます。たとえば、「セミナー集客で使えるキャッチコピー」「DMで使えるキャッチコピーの書き方」というふうに。これらをまとめて「状況別に分類! キャッチコピーの書き方」としてもいいでしょう。

ほかの例で言えば、「万年筆ベスト10」から「書き味で選ぶベスト10」「デザインで選ぶベスト10」としてもいいですし、さらにそこから、1万円以下や1万円以上で区分してもいいでしょう。このようにピンポイントな情報であればあるほど、ユーザーに喜ばれます。

対象者が欲しているものは何なのかを探り、それを提供するのは食材でも情報でも同じなのです。

以上が、「食材(情報)」で差をつける5種類です。


では続いては、食材ではなく、「献立(思索)の話に移っていきます。作り手の技量が現れる部分と言ってもいいでしょう。それでは、詳しく述べていきます。


献立(思索)で差をつける

料理の「何を作ろうか(献立)」は、文章の「何を書くのか(思索)」に当たります。何を作るかを考えずに調理はできないように、何を書くかを考えずに執筆はできません。どんな完成品になるかは、どちらも実際に手を動かす前に大方決まっているのです。この点、もう少し深く解説します。

「何を書くか」は、「何を考えたか(思索)」に依拠しています。人は自分が思考・想像したことしか言葉にできません。つまり、考える力が文章力の土台になっているのです。

言われてみれば当たり前かも知れませんが、真に理解している人は少ないです。

文章力を鍛えるには、「文章術」系の本を読むものだと思っている人が多くいます。しかしそれは間違いです。真に文章力を高めたければ、「思考法」「発想法」系の本か、またそれらが優れた人が書いた本を読むべきなのです。

私は着眼点の優れた方の書籍を読むたび、「この着眼点はどこから来るのか」を常に意識して読むようにしています。「書き方」などという小手先の部分はほとんど見ていません。こういう視点で見ていくことで筆者の思考の癖やパターン、土台になっている学問などが垣間見えてきます。

私は様々な文章をこうした視点で見てきて、着眼点が優れていると感じる文章(思索)は分類できることに気づきました。ここでは、私が気づいた代表的な思索の種類を4つ紹介します。

①視点を変える
②アナロジーを用いる
③逆説を唱える・前提を疑う
④分かりやすい形式にする


①視点を変える

新聞広告コンテストのグランプリを受賞した『ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました』があります。鬼の子どもの視点から見ることで、今まで正義に見えていた桃太郎が悪にも見えてくるのです。

私が大好きな漫画『進撃の巨人』(講談社・諫山創)も後半から視点の切り替わりが起きます。主人公のエレンが住む街を襲った巨人側の視点から描かれていき、巨人が単純な「悪」ではないことがわかっていくのです。

もう一つ例を上げると、映画『誰も守ってくれない』があります。この映画は、ある殺人事件を加害者家族の視点から描いています。事件を当事者(被害者や加害者)の視点から描く映画は多いですが、加害者家族の視点から描くものは珍しいです。見ていて色々と考えさせられました。

このように、視点を変えて事物を描くことで新たな解釈の余地が生まれます。作品の深みが増し、考えさせるきっかけにもなるのです。


②アナロジーを用いる

ミリオンセラーになったビジネス書籍『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(ダイヤモンド社・岩崎 夏海)があります。

卑近な物語形式のビジネス書なら、どこかのビジネスマンに『マネジメント』を読ませて成功するストーリーになりがちですが、この本は野球部の女子高生マネージャーです。これはもう斜め上からの着想です。

この本は、「ドラッカーの教えは野球でも通じる」というアナロジーから来ています。アナロジーとは、「A とBは構造が似ている」「A をBに応用する」といった類似性や転用を指します(狭い意味では、類似性だけを指す)。

最近衝撃を受けた書籍『「雑草」という戦略 予測不能な時代をどう生き抜くか』(日本実業出版社・稲垣栄洋)があります。本書では、植物の生存戦略とビジネス戦略の類似性を示し、植物からビジネスを学べるような作りになっています。

このように、テーマをストレートに語るのではなく、別分野から語ったり、絡めたりすることで、見つめ直すきっかけを読者に与えます。
ちなみに、この料理に例えている本誌もアナロジーによるものです。


③逆説を唱える・前提を疑う

書店に足を運んだら、ある本が目に留まりました。『売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放』(ライツ社・中村朱美)。売上を上げることが是とされているビジネスの前提を覆している、刺激的なタイトルです。

実はこうした逆説を解くような本は、書店を見渡せば意外とあることに気づきます。

たとえば、今私が実践しているダイエットがあるのですが、そのきっかけとなった本が『まさか!の高脂質食ダイエット ~本当にやせる「糖質制限2.0」』です。ただの糖質制限ではなく、脂質を積極的に摂取していくダイエット法になります。糖質制限だけでも賛否があるのに、そこに加えて高脂質です。常識の逆を行っていますよね。ちなみに私は、半年で8㎏痩せました。

私が以前、面白いと思ったブログ記事に『「電子書籍は紙の本より安いべきである」は本当なのか?』といったものがあります。「電子書籍は、紙の本よりも安い」といった一般常識に疑問を投げかけているわけです。これもまた逆説的で面白いです。

このように逆説とは、常識や前提を覆すのが特徴です。ですが、「大衆とは逆のことを言ってやろう」といった結論ありきで思考するのは間違いです。あくまでも、「この前提ってそもそも正しいの?」といった批判・疑問から生まれてこなくてはいけません。

逆説はある意味、常識に喧嘩を売る行為ですから、読者に「なるほど。確かに」と思わせるだけの理論武装をしておく必要があります。
逆説は刺激的なだけにしっかりと準備をして挑んでください。


④分かりやすい形式にする

「わかりやすい」「マンガで」がタイトルの付いた本が最近多くなってきました。難解なテーマをわかりやすくするのは、意味のあることだと私は思っています。

わかりやすくする手法は色々あります。平易な言葉を使うことから、小説風、漫画、擬人化、図解化・図鑑化などがあります。

私は「図解」「図鑑」の本を毎月数冊買っています。これらの本は、「わかりやすさ」をとことん突き詰めようとしているからです。「この情報を、こんなふうなレイアウトして表現するか」「これをそう図解化したか」と読むたびに感心します。

伝える仕事に携わっているのなら、「このテーマを最も分かりやすく伝えられる形は何か?」と必ず自問してください。もしかしたら、「これ、文章じゃなくて、漫画のほうがいいかも」といった結論に達するかも知れません。物書きがそんな結論に達していいのかと思うかも知れませんが、いいのです。

どんな結論に達しようと「一番わかりやすい形を求めた」ことに意味があるのです。仮に、漫画が最良だとしても、技量の問題で採用できないかもしれません。しかし、わかりやすさを求めた姿勢は、この先も生きてきます。

「どんな切り口が一番わかりやすいのか」「どんな構成にしたら理解しやすいのか」「ここは図解で表現したほうがいいのではないか」と、様々な場面で“わかりやすさ”を自然と意識するようになります。結局、分かりやすい文章は、わかりやすさを常に意識した人からしか生まれないのです。

とはいえ、分かりやすさにも留意点があります。100:0で語れないことを、あえて100:0と極端にしたり、複雑な話な単純化したりしてしまうと、間違った認識や偏見を与えてしまいます。

発言が極端に振れているほうが、分かりやすいことは分かりやすいです。しかし、それは極めて危険な分かりやすさです。

「○○人は△△だ」といった発言をSNSでする人がいますが、民族を一括に評価することなんて本来できません。こうしたレッテル貼りも、間違った分かりやすさです。

世界史を学ぶほど、世界は単純でないことがわかりますし、多様な価値観があることもわかります。世界史に限らず、大抵の物事はそう単純ではないのです。複雑な物事を理解しやすくする、それが分かりやすさなのです。「分かりやすい=単純化」ではないことだけは、肝に銘じておいてください。

以上が、私が思う献立(思索)です。


盛り付け(表現)で差をつける

文章は嫌でも個性がにじみ出ます。「同じテーマ、同じ構成、同じ結論で書きなさい」と何百人に書かせても、みな違う表現(語彙・リズム)で文章を書いてきます。これらを一言で私は「文体」と呼んでいます。ここに個性(才能)が表れるのです。

あなたにも好きな作家がいると思いますが、おそらくその作家の文体が生み出す世界観、広い意味での表現に強く惹かれたのではないでしょうか。

文体は、人の数だけあるためほぼ無限大です。とはいえ、どんな文体でも人を惹きつける魅力を持っているわけではありません。大抵の人は、人を惹きつけることはできません。

私は壇蜜のエッセイのファンです。何気ない日常を綴っているだけのエッセイですが、彼女が持つ特有の世界観が堪りません。私のように魅了された人は多いようで、今までに8冊もエッセイが出版されています。芸能人でこれだけ多く出版できた人は珍しいのではないでしょうか。

実のところ、人は話の中身よりも表現に強く惹かれます。エッセイだって、実用書と比べれば中身なんてありません。でも惹かれてしまう。表現の持つ力が大きいからです。

「文体よりも内容が大事だろう」と反論される方もいるかと思います。しかしこれは、料理で喩えれば、「味が美味しければグチャグチャに盛り付けても問題ない」と言っているのと同じです。レストランでそんなことをされたら、「この店はお客を馬鹿にしているのか」と思うはずです

書籍『コンテンツの秘密』(NHK出版新書・川上量生)には、示唆に富んだ話があります。

「すべての大監督は最終的に表現に行った」というのは、鈴木さんがよく使う言い回しです(中略)
僕は話のつじつまが合っていない映画は嫌いでストーリーが面白いほうがいいと思うのです。そう主張すると鈴木さんは、「川上さんみたいな見方をする人は少数派なんですよ」と返します。(中略)
「本当に凄い映画を見たときは、観客はストーリーなんて気にしない」とも言います。よく、ストーリーのつじつまが合っていないことにケチをつける人がいるけど、問題なのはつじつまが合っていないことではなく、映画が面白くなかったことなんだそうです。 (p153~p154)

書籍『コンテンツの秘密』(NHK出版新書・川上量生

映画『君の名は。』も表現に力を入れている作品だと思います。
本作品は、話のつじつまが合っていないと一部の人から批判が挙あがりました。それでも日本歴代興行収入4位を達成しています。『天気の子』も同様につじつまが合わないと批判されましたが、こちらも12位の成績を収めています。

『君の名は。』の以前から、新海誠監督の作品はどれも映像美や表現に力を入れていたことは、よく知られています。これだけ興行収入を達成したのも、根強いファンがいるのも、表現に力を入れてきたからでしょう。

映画の話から、文章の話に戻します。
表現や世界観を織りなす文体は、生まれ持った個性が土台になっています。生まれ持ったものなら、変えたり直したりはできないものと思いがちですが、そうとも言い切れません。これは私の仮説ですが、文体は後天的な学習により変化すると考えています。特に影響を与えるものが3つあります。

①音楽
②詩(俳句や短歌)
③影響を受けた作家

まず音楽ですが、音楽を習った人と習っていない人では、語感やリズムへの感受性に差が出ます。これが文体にも影響が出てくるのです。

次に詩も音楽と同様に、語感とリズムが鍛えられます。私が好きな壇蜜も短歌を6年間習っていたそうです。

最後の影響を受けた作家ですが、これは私の実体験が元になっています。私は魅せられた作家の文体を真似しようと試みたことが何度もあります。本一冊を書き写したり、「あの人ならどう書くかな」と考えたりして文章を書きました。そうしていくうちに、完璧に、とまではいきませんが、その人の文体に近い文章が書けるようになっていったのです。

時々、作家の中谷彰宏氏と似た文体で書いている著者を見受けますが、調べてみると、やはり中谷氏の影響を強く受けていると分かります。

こうした後天的な要因によって、文体は変化していきます。ですから、自分には才能がないと諦める必要はありません。自分の文体は磨くことができるのです。


料理と文章をアナロジーにかけて、文章を見つめ直してみましたが、いかがでしたでしょうか。何か新しい発見のきっかけになれたなら幸いです。


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