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たとえ、正しくて面白い文章だとしても、読者には響かない。その理由とは
Googleは、SEOの評価基準にE-A-Tを設けています。E-A-Tとは、Expertise(専門性)、Authoritativeness(権威性)、Trustworthiness(信頼性)の略です。コンテンツの中身だけでなく、誰が書いたのかといった情報も重要視しているわけです。
SEOに限らず、人は情報を評価する際、これと同じ物差しを用いています。Googleは人のリアルな評価基準に合わせているだけなのです。
コンテンツは、この「誰が(発言者)」×「何を(発言内容)」でほぼ全て決まります。これは文章だけではなく、情報発信・表現物全般に言えることです。
「面白い話さえ書けば評価される」と考えているのなら、その認識は甘いです。それを書いたのが誰なのかのほうが評価に影響を与えるのです。
この点について、詳しく解説していきます。
誰が言うのか
知人が本の原稿を出版社に持ち込んだ時の話をしてくれました。彼曰く、「出版しても申し分ないぐらい内容は充実しているけれど、プロフィールが弱い」と編集者に言われ、出版が見送りになったそうです。
体のいい断り文句だったのか、それとも本心から出た言葉なのかは分かりませんが、プロフィールが売れ行きに影響するのは出版業界の常識のようです。出版プロデュースを仕事にしている方々も、その事実をわかっているためクライアントのプロフィール作りに注力しています。
実際、読者からしてもプロフィールは大切です。あなたも本を買う際、著者のプロフィールを見ませんか? なぜ見るのでしょうか。本の良し悪しを計る材料にしているからです。それだけ、「何を」は「誰が」の影響を受けているのです。
たとえば、戦争の悲惨さを戦争経験者が語るのと経験していない人が語るのとでは、言葉の重さが異なります。「経験の有無」が情報に大きな重みを与えているわけです。
ほかにも、「○○国とは国交断絶するべきである。人種として劣っているからだ」と一介のサラリーマンが発言したとしても、軽蔑される程度で済みますが、これがもし一国の大統領が発言したものだったらどうでしょうか。国際問題にも発展しかねません。
イチロー選手の名言に「小さいことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道」があります。同じ言葉をそこら辺のおっさんが言ったとしても誰も評価なんかしません。このように、同じ言葉でも、「誰が」によって評価が大きく変わるのです。
人間は、「誰が」と「何を」を区別できない
そう言うと必ず、「いや俺は、情報と人は切り分けているぞ」と言い出す人がいます。そんなことができる人は、ほぼいません。強く意識していなければ、「何を」と「誰が」を分けて捉えることはできないのです。
少し試してみましょう。
あなたは花火禁止区域だと知らずに花火をしていたとします。そこに同じように花火をしている男が来て、「ここは花火禁止だぞ、今すぐ止めなさい」と注意してきたら、あなたはどう思いますか? 「お前が言うな」「自分もしているじゃないか」と思い、言い返すのではないでしょうか。
もしそのように思ったのなら、あなたは「何を」と「誰が」を区別できていません。なぜなら、あなたがルール違反を犯していることと、男が花火をしていることには一切関係がないからです。花火を続けてよい言い訳にはなりませんし、罪が軽くなるわけでもありません。あなたがルール違反をしている事実は何一つ変わらないのです。
この例に限らず、「お前が言うな」「この発言ブーメランだよね」「この人は昔、こんな問題を起こした」と思ったり、発言したり、真に受けた経験があれば、あなたは「誰が」を見て「何を」を判断していると言えます。ほぼ100%の人が、これに当てはまるのではないでしょうか。
だから、詭弁は強い
このような、過去の言動を持ってきて、相手の意見を無効化しようとする手法は、詭弁術の一つです。
こうした詭弁に引っかかるのは、使ってしまうのは、頭が悪いからではありません、「何を」よりも「誰が」を重視する特性が人間にはあるからです。論敵の人格を貶める発言をする人も、それが詭弁だと自覚して使っている人は少ないでしょう。無意識に効果的だと知っていて使っているのです。
この事実は、文章のみならず、すべての表現物に言えることです。誰の作品かによって、作品の値打ちは大きく左右されます。つまり、あなたがどんなに素晴らしい内容の文章を書いたとしても、作品を作ったとしても「誰が」が伴っていなければ、さして評価されないのです。出版社にプロフィールが弱いと言われ断られた私の友人のように。
見方を変えれば、自分の書く文章に力を宿したければ社会的評価を高めればいい、とも言えます。何かの専門分野で実績を作れば、誰もがあなたの言葉に耳を傾けてくれるようになります。一言で言えば、ブランディングです。地道で泥臭いですが、これが着実に文章に“力”を宿す方法なのです。
「何を」の積み重ねが「誰が」を作る
では、「誰が」を高める実績とは具体的に何を指すのか。2つあります。
ひとつは「成果」です。「A業界で10,000人を指導」「○○賞を受賞」といったものがそうです。何かしらの世界大会で優勝したら、黙っていても取材や出版の依頼が舞い込んできます。現に、オリンピックなどで優勝すると優勝選手の本が出版されます。
もうひとつの実績は、「何を」の積み重ねです。
テーマを決めてそのテーマに関する記事を1,000以上書いてきたら、世間からはその道のオタクまたは知識人だと評価されます。
一昔前、ブログ集客を教えるコンサルタントたちは、皆口々に「テーマを決めて毎日書き続けること」とアドバイスしていました。記事の数が多くなれば露出頻度が高まることもあるでしょうが、記事の数が一定量蓄積すれば、専門家と認識されるからです。
情報発信を続けて一定の評価を得られれば、セミナー講師やメディア出演などの依頼が入ってくるようになります。これは、記事を書き続けてきた人なら誰もが経験するはずです。
私自身も、Webサイトで記事を書き続けてきたおかげで、コピーライティングの仕事やセミナーの仕事が入るようになりました。こうしたチャンスが、「実績」になるのです。
結局、「誰を」を作り上げるのは、地道な「何を」を積み重ねてきた人だけです。「何を」を発信し続けることでチャンスが舞い込み、「誰が」が形成され、さらにチャンスが舞い込むようになるのです。つまり、この二つは相互関係になっています。
たとえ今無名だったとしても、テーマを絞り発信し続けてください。いつしか、大衆はあなたの言葉に耳を傾けるようになるでしょう。
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