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おもうことと発語すること

『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』は、きちんと数えるとクラクラするくらい遠い未来が舞台だ。木星に似たFBBという星を周回しながら、昏魚を捕獲して暮らす移民がいる。漁師のテラと家出少女のダイオードの出会いと恋愛が描かれる。

まずSFで漁をするのは珍しい。外的資源を獲得して生産消費活動が行われるというのは、クラシックな資本主義というか近現代の第一時&第二次産業と地続きだなあと思う。辺境で漁をして生きるテラやダイオードは、辺境までコールドスリープまでして働いているエイリアンのリプリーを思い出したし、泥臭さで言えばマーク1を鋳造から作ったトニースタークを思い出した。

FBBの周回者は、私利私欲に走らず、ヤバい宗教や思想に頼らずコミニティを維持運営しているのも面白い。移民初期のマギリの気概やあったであろう創意工夫、長老会の人たちが必死で掟を守ってきたからなんだろうなと思う。「ツインスタ」はこの先駆者たちが安定のために作ったものが、テラにとっては違和感があるものとして受け止められるし、ダイオードにとっては看過できないものになっている点も面白い。

「じゃあまず順番に行きますけどまず人の身長をいじるな。人の体型をいじるな。というか女であると見た瞬間にいじっていいと判断するなということですけどまさかこの程度のこともわからないはずがありませんよねジーオン?」
とあるシーンでダイオードが反論する場面がある。早口で巻くし立てるように挑むダイオードはハッキリいってすげぇと思った。ゴスロリファッションなんかに身を包んだショックロッカーそのままだし、カッコいい。

ダイオードのそういう姿勢にテラも徐々に影響される。今まで言葉にしてこなかったものがたくさんある。男に触られたとか視線のこともそうだ。「結婚したくないです」ということをキチンというのがいい。おもうではなくて他人と自分の耳に聞こえるように発語するのがいい。

読み進めているとダイオードはこの「周回者」の文化圏に対して相対的な意識というか視点を持っているなと気がつかされた。
持っているというか持っていたというか、作りだしたというほうが正しいような気がする。いつだろうど考えると、やっぱり件の「9500時間」ではないのか。一般的に反抗期なのだろうけど、船に乗りどんなことを考えていたのか、何か持ち込んで読んでいたのか等々色々考えてしまう。わからないが、究極的に新しい自分を作りだしていたのではないか。「ダイオード」っていう名前がそうだ。創造しそれまでと違う名を与える。名乗らなければならなかったし、このために「9500時間」な必要だったに違いない。ダイ(死)というのは決別ともとれる。もちろん自明の価値観に対してなんだけど、それが真っ先に試されるのは家だし親だ。いや、そもそも弱く頼りないと思う自分との煩悶の時間でもあったのかもしれない。
ダイオードのことを考えるとやはりテラは対照的な人生を過ごして来たんだなあと改めて思う。抑圧的な人生はダイオードがいなかったら絶対回心しなかっただろうし、アイアンボールでのエダとの邂逅にもその後の告白にもつながらない。テラはエダと話すうちに、自分自身とFBBとその周辺の世界の認識を深めていくようで、個人的にはこの物語の象徴的な部分に触れている気がした。
「今は何年かな?」とあったように「ツインスター」にはそれぞれの言葉にして伝える前のおもいおもいの時間が流れているのではないだろうか。そしてFBBとその周辺には発語されずにまだ眠ったままのおもいがあるよう気がしてならない。

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