【SS】融合
朝、目が覚めて、トイレに行った。
トイレの扉を開けて、私はぽかんと口をあけた。便器がない。
ドアから10センチくらいの距離に壁がある。
ずりずりと廊下を下がり、玄関をみると、靴箱がない。何十センチか、家の片面が削られている。
直近の問題は尿意であるが、それどころじゃない。リフォームついでに、隣の家が攻め込んできたのである。
いくら土地が狭いからといって、他人の家を削るとはなんたる大胆な所行であろうか。私は、つてを頼って設計士の先生に相談した。
「靴箱はともかくトイレがないと不便でしょう」
と、先生はおそろしく具体的なことを言った。
「ま、まあ、一番困っているのはそれですが」
「じゃあ、トイレを作りましょう」
「どこに作るんですか」
「もちろん隣の家です。境界線を無視されて黙っていることはありません」
次の日、隣の家のリビングにうちのトイレが設置された。
不条理なことに隣の家は怒り、今度はうちの居間に侵入して、洗濯乾燥機を置いていった。自分の家で動かすとうるさいからだろう。
こうして一ヶ月もたつとお互い、どこがどちらの家の領分なのか見分けがつかないほどぐちゃぐちゃになり、気が付くと、隣家の奥さんが私のベッドで寝ていたりする。
食事を作ると、隣家の息子がちゃっかり席についている。
しかし、隣の家の主人だけはついに目にしたことがない。
ある日、「ご主人はどうしたんですか」と尋ねてみたら、奥さんは顔を伏せて黙ってしまった。まずいことを聞いてしまったらしい。
「とうちゃんは忙しいんだ」
と隣の家の息子がいった。
そういえば、隣の家が攻め込んでいるのはうちだけではない。家の前の私道はすでに占領し、向かいの家まで融合しかけている。
「とうちゃんの仕事ってなんだい」
「大工。だけど、この不況で仕事がないんだって」
依頼はなくても、工事は止められないってわけか。
リストラ後遺症のようなもんかなあと思いながら、私は隣の奥さんが煎れてくれた茶を飲んだ。
もはや狭苦しい自分の家に住む気にならず、膨張し続ける隣家に住んでいるのである。
このままほっておくとどうなるか怖いものがあるが、いまのところは快適だ。
前線では、いまも奥さんの旦那が一人で戦っている。
(了)
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