【ショートショート】滑落
みんな背中にロープがついている。ビルの窓の清掃員がつけているようなやつだ。ふだんは気づいていないだけだ。
私もそうだった。
家の階段を踏み外した時、がん! と胸から背中にショックがきて、気づいたら天井からぶら下がっていた。
怪我をしなくて済んで助かったが、宙ぶらりんというのも困ったものである。妻は友だちとサウナに出かけていて、しばらく帰ってきそうになかった。
私はロープの装着箇所を探って、回転取手を見つけた。ぐるぐる回していると、だんだん体が引き上げられ、ぴたりと天井に張り付いた。ヤモリじゃないんだからこれは困る。
回転を逆にして階段に降り立った。その瞬間にロープはスッと消えた。
背中のロープのことを忘れた頃、近所の坂を歩いていて異変が起きた。いきなり斜度が40度くらいになったのである。私は滑落した。自転車や猫や鉢植えやほうきや、いろいろなものが滑落している。
ロープのことを思い出したとたん、ガクッと体が止まった。私は這々の体で坂の上まで這い上がった。
それ以来、どこで落ちるかわからないと注意しながら生きてきた。ところが、社員旅行で埼玉県に行ったとき、全員でスカイダイビングに挑戦することになってしまったのである。嫌な予感がした。
私だけパラシュートが開かないなんてことは……あった。
盛大な衝撃があって、私の体は空に縫い付けられたように停止した。
このままゆっくり下って行ったら地上に戻れることはわかっていたが……この状態は不可思議だった。上のほうにはなにがあるのだろう。ロープはどこにつながっているのだろう。
好奇心に負けた私はじりじりと空を登っていった。行き着いた先は天国である。
「絶景かな」
なんて喜んでいるうちにロープは消えてしまい、もはや地上に戻る方法はない。
(了)
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