平熱

 そんなこんなしてるうちに歳が24になってしまい、そもそもなんで生まれてきたんだというところまでうろうろうろうろと檻の中

 祝ってくれた人もそうでない人もいつもありがとう毎日があなたにとっていい日でありますよう

 時期としてはこのタイミングくらいで就職活動を終えられればと思っていたのだが、現実はそう甘くなく。こちらの責任なのでどうもこうもないのだけど、数人から色々手伝ってもらったり助言をいただいたりした中で、これだけ不甲斐ないのはかなり申し訳がたたない。修士論文は楽しく?並行して書けているので、とりあえずこちらが終わったら沢山遊びましょう。

 この前ストレスが溜まりあることを契機に怒りが大爆発して、現在そこから10日ほど経ったがかなり、あの程度まで怒り散らかしてしまったという事実に、もちろん自分のことながら傷ついている。加害性みたいな威勢のいい言葉ではなく、非常に醜い部分。非は向こうにあることを当人も多少は認めてくれたため差し当たって矛を収めることはできたけど、もう二度と関わりたくないというのが本音だ。私は至って当たり前の怒りを表明しただけなのに、それをプライドが高いと形容する人もいるのだろうと思うと、なんだか生きづらいと一言言ってみたくなると思う。どうすればよかったかな。

 色んな人に頑張ってると思われてる気がして、確かに自分史比ではかなり頑張ってる部類に入ってる現在だけど、その状態で休んでる様を見せるのはなんだか違う気がしてストーリーにはあげてなかったんだけど(一応終わったらあげます)、6月の上旬に石川県と敦賀に行ってきた。祖父母に会いに行き、祖父を北陸新幹線延伸分の敦賀まで連れて行くことが今回の目的だった。敦賀は差し当たっての終着点である割に寂れており、当分この先大阪まで新幹線が辿り着きそうにないことを考えると、やはり延伸などしなければよかったのではないかと思った。とはいえ見るべき部分は多くあり、少し鉄オタ気味な私からしたらなかなか重要な場所であることを恥ずかしながら初めて知ることができた。
 祖父もだんだん元気がなくなってきた。悲しい。こればっかりは本当に悲しい。歩くのが遅くなり、自転車には相変わらず乗れるがこれも遅くなった。表情は乏しくなり、ネガティブなことばかり言うようになった。全部巨人が弱いせいであることは言うまでもないんだけど、印象的だったのは、私がこのタイミングで一緒に行かなかったら敦賀行くの諦めてた、本当に行けて良かったみたいなことを言われたこと。いやーこんなこと言う人じゃなかったんだけどなー寂しいこと言ってんじゃないよと思いながら、別に行けるって大丈夫だよ笑でも本当に行けてよかったねって返した。小さい頃から夏休みに千葉に来てもらっては電車で色々なところに行ったし、祖父もその思い出をとても大事にしてもらっているから、どこか思うところあったのかなと思うと、87年も生きるってどんな気分なんだろうなとふと考えてしまった。どうかここからも長生きしてほしい。またどっか行こう。そのためにも巨人にはもっと強くなってもらわなきゃ困る。私はセリーグだと横浜が好きですが。

 近況報告と言ってもこれくらいか。あとは瑣末なもので、せいぜい浮き沈みが激しいというだけ。最近の音楽が聴けなくなって、過去にプレイリストにまとめた好きな曲ばかり聴いている。NewJeansの新譜も、村上隆コラボにのれなさすぎてあまり聴けていない。サマソニも小沢健二も諦めた。来年のギタージャンボリーくらいは行きたい。


24のリズムは複雑