段々

 年の瀬になり、一抹の解放感を覚えている。前に書いたのではたくさんの音楽に出会えたこと、ライブに行けたことなどは嬉しかったと書いていたけど、そしてそれは紛れもない事実として嬉しいことなのだけど、全てのプラスマイナスを重ねるとちょうど2くらいマイナスな気がする。別に1日経って1の位が一つ変わったとてリセットも何もされないことぐらい、これだけ生きていたら百も承知なわけだけど、やっと終わってくれる、というような感覚はどうしても持ってしまう。

 昨年は「〇〇しました。」という感じであったこと書いていったけど、今年はそれが多いような気がするし、過去の記事と重複してしまうのでやめる。のでどのような構成で書こうかなと思っていたらもう12月も29日になってしまい、余計にこれを書くのが憂鬱になってしまった。とはいえ始めた以上、書かなければ。

 こういう時に写真は撮っておくべしだなと思う。カメラロールを見返すと、どこに行った、誰に会ったということについて、「これも今年だったのか」と思うことが多い。やるべきことはそこそこにやり、本当にさまざまな場所をふらふらとしたなという一年だったと思う。一人で行動することもあったが、行く先々で色々な人に話を聞いてもらい、無駄なことからもちろんそうでないことまで、色々なことを考え知ることができたと思う。感謝してもしきれないし、これは年が変わってもリセットされるような類のものではなく、来年もまた甘えさせてもらいますという感じだ。

 あまり誉められた日常を過ごしていないなという自覚はあり、少なくとも知識くらいは詰め込んでおこうと、多分ジャンル問わずなら100冊ほど読み、Twitterでの情報収集(覚えるだけ無駄なゴミが7割ほど)も含めるととんでもない文字数を目に入れながら過ごしていたと思う。インプットの量が多いこととそれらを適切に外部に持ってくる能力は全く比例しないということを思い知らされた時期でもあったと思う。

 そして、自分の選択は正しかったのかどうか常に突きつけられるような毎日だ。過去の自分の認識や行動の誤りは確実に現在に影響を及ぼしていて、今更どうにもならないことばかりに苛まれるようなことが多い。今からでも遅くないと考えることは何の気休めにもならなくて、全てを断ち切る気概も持てない中で、どのように軟着陸させれば私は納得できるのだろうと日々考えている。

 段々と自分のことがわかってきた時期だったように感じるけど、それは湖面に映った像みたいに自己理解ですら揺らいでいる。そこで自分なりにその像をどうやって固定するかとなった時に選んだのが、もう2年学問をやってみること、文章を書いてみるということなんだと思う(この選択も少し後悔が芽生えている)。自分は何をしたいのか、どうなりたいのか、少々時間が他人よりかかりすぎて恥ずかしい限りだけど、何とか肯定できればいいと思う。

 肯定。私が、一緒にいて楽しいと思う人たちは皆おしなべてそこに必要とされて居るという、何かオーラみたいなものを持っていて、私もそうでありたいと思うけどどうも存在を祝福された記憶に欠けるため、いつも他人が羨ましく見える。その光にあやかって生きるのは楽をしすぎだと思うので、まずは自分が正しく生きられることを目標にせねばならないなと思う。とはいえ自分はとても醜くて、特にフリック入力しているときの表情などきっとみるに堪えないほど無様なものだと思う。救われようなどと思ってはダメで、自分のことは自分で救わなきゃいけない、愛されようなどと思うのはその次の話。

 もう少し学問の話を。何に貢献するかは後からついてくる、自分の根本のところから出てきた問いに向き合えみたいなことを今年言われ、何だかとても救われたような気がした。どれだけ何か知識のようなものを得てもそのキリのなさに茫然とし、そういったものをくだらないとすら考えていた時期もあった中で、私が世界と向き合う手段としてそこに居続けてくれているのかと思った。その心構えを持つことができただけでも、何か得たものがあったのかもしれない。

 ここ数年、特に何の種にもならないけど、たくさん文章を書いた気がする。注釈や迂遠な言い回しが多く一向に悪文は悪文のままだし、全体的にトーンが暗いけど、表情を出したければ話せばいいわけだし、これはこれで、と思っている。

 大体私が思うに文章というのは、あまり明るいことを書くのに向いていないと思う。ひたすら深みに潜り、届く可能性の高低にかかわらずそこに望みを賭けるような。それなのに最近は無理やり明るいことを書かされそうになっており、まあ将来のために必要だし早く終わらせるのが吉と思い、頑張っている。本当は、この文章をここまで読んでしまっているような、あなたに大事なことを言うために自分の語彙は無駄にせずにしておきたいのだけど。

 ということで、細切れに書いていたら大晦日になっています。あくまで一つの区切りとして、この機会くらいじゃないと色々振り返ることが難しいので、またこういう訳のわからない、曖昧模糊なものを書いてしまっています。改めて、関わってくれた大体全ての人や物事に感謝しています。ありがとう。時々消えたくなるけど皆さんのおかげで楽しいと思えています。段々と、私が生きたいように生きることができるようになっていると思っています。2024年もたくさん楽しくやっていきましょう。よろしくお願いします。こっちよりも一個前の音楽のやつ読んでね。