雲のかけらbyまみむめも

「雲って、乗れると思うんだ」
「乗れないよ」
 
 即座にぶった切られる。夢から覚めたように、現実が一気に五感を刺激する。
 カラフルな屋台の看板や、行き交う人々の浴衣。焼きそばのこげ臭い香り。賑わう群衆の声に交じる、力強い太鼓の音。きんと冷えた白い氷には、真っ赤なシロップが映えている。ストローのスプーンですくって口の中で溶かすと、舌が甘味を認識して喜んだ。

「知ってるもん、乗れないことくらい。雲は空気中の水蒸気が冷やされてできた、小さな水滴のつぶの集まり。実体なんてない。でしょ?」
「おお〜、さすが」
 
 ムキになって早口で説明をまくし立てるわたしを楽しむように、左隣の彼は目を細めて手をパチパチとたたく。なんだか煽られているみたいで悔しい。わたしは黙ってかき氷の続きを食す。
「ごめんごめん。––––で、何?続きは」
 からかうような口調から一変して、柔らかく穏やかな声色。ちらりと彼の顔をうかがうと、優しく微笑みながらわたしに耳を傾けてくれている。さっきの彼とはまるで別人。それはそれで釈然としないけど。
 
 わたしはシロップをごくりと喉に流し込むと、視線を空に投げた。
「こんなにもくっきりと目に見えて、凹凸も厚みもある。実体がないなんて、頭では理解していても、信じられない」
 
 左側は群青、太陽に近くなるにつれて、ほんのりとオレンジ色に移ろっていくグラデーション。それを背景として、もこもこと、触り心地の良さそうな塊がところどころに浮かんでいる。その積雲たちも、夕日を浴びた部分はほんのりと色づいていた。
 幼い頃からずっと膨らませてきた空想を語る。

「乗ったら、とってもふわふわなんだろうな。暖かいんだろうな。気持ちいいんだろうな。でも、ちょっと怖いかもしれないから、乗る時は友達と一緒に乗ろう。最高のベッドで、お昼寝するんだ!」
 高らかに宣言し、共感を求めて彼を見る。
 誰しも一度は、こんな夢物語を思い描いたことがあるはず––––
「だ、よね……?」
 
 今度は彼が黙り込む。じっとうつむいて、わたしの方に目をやる気配がない。
 反応に困る話をしてしまったかもしれない。中学生にもなって。
 申し訳なさと恥ずかしさで顔がほてる。気まずい空気をどうにかしようと、慌てて
「ごめんね、忘れていいよ」
と言って、あとわずかな氷を急いでガリガリと噛んだ。

 容器が空になるのとほぼ同時に、彼は出し抜けに立ち上がり、
「少しだけ待ってて」
とだけ残して、そそくさと雑踏へまぎれ込んでいく。
「え、ちょっ、あ……」
 わたしはあまりの唐突さに声をかけることもできないまま茫然とする。

 頭が再び回転し始めた時にはもう、彼の紺色の浴衣は発見できなかった。
 席を離れるわけにもいかず、ひとりになったわたしは、小さくため息をついた。
 ぼんやりと空を眺める。わずかながらも形を変えながら、ゆっくりと泳ぐ雲。
「飛行機だ」
 先ほどまではなかった一機。オレンジ色から群青に向かっている。後ろには、一直線の尾。それはくっきりと跡を残し、鮮やかな空に斜線が引かれていく。
 
 ふいに、暗くなった。徐々に動き続けていた雲が、太陽を遮ったのだ。確かにそれはささいな変化に過ぎないけれど、わたしにははっきりと感じられた。
 手に持っていた空の容器を握りつぶして、わきに置く。
 なんとなく寂しい気持ちになってしまって、そんな自分をごまかすようににっこりと笑顔をつくった。

「お待たせ。たくさん人が並んでて、遅くなっちゃった」
 びくりと体が震える。どこへ行っていたのと尋ねようと目を向けて、「わ」と声がもれた。
 戻ってきた彼の両手には、優しいミルク色の、空気をたっぷり含んでふわりと膨らんだ––––
「……わたあめ」
 そう、わたあめが2つ。

「うん」
 いつになく真面目な表情。そのまま彼は片方を差し出した。
「僕は……、雲って、食べたらおいしいと思うんだ」

 両目を見開く。徐々に動き続けていた雲が、隠していた太陽を露わにさせて、辺りがぱあっと明るくなる。
 
 鼓動がだんだんと速くなっていくのがわかった。そう、夢物語に胸を弾ませた、あの頃のように。
「ありがとう」
 彼に差し出された雲のかけらを受け取ると、早速大口でかぶりつく。
 わたしは頬を緩ませて、彼の驚いたような顔に言い放った。
「きっと、こんな味がするよ」
 
 橙色一色に染まった空からは、いつのまにか飛行機も飛行機雲も消えている。
 ひと口かじったわたあめを空にかざして、わたしは確信する。
 やはり、雲には、乗ることができる、と。

あとがき

 こんにちは。まみむめもです。
 夏も盛りですが、夏休み真っ只中の私は家で涼しくゴロゴロと過ごしております。
 基本的にインドアな私ですが、お祭りはとても好きです。非日常を全力で楽しむ、活気に溢れたあの空気感がたまらなく良い。ポテトやかき氷も、屋台で買ったものはいつもと一味違うような気がしませんか?
  
 さて、今回の物語ですが、予想以上に長々と書いてしまって自分でもびっくりです。もともとは「曇って乗ったら楽しそうだよなー、食べたら美味しそうだよなー」という軽いノリで思いついたものだったので。物語って、情景描写や心情描写を織り交ぜることで良くも悪くも膨れ上がってしまうんですね……。
 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。またお会いしましょう!