多様性の底にby蟹ノ尻尾
突然ですが、皆さん。「多様性」という言葉は知っていますか? 簡単に説明すると、人々が持つ多種多様な背景のことです。また個人の違いを認め合い、尊重し合うことを指す言葉でもあるそうです。
この「多様性」という言葉、最近よく耳にするのではないでしょうか? 学校の講演、テレビ、ネット、家庭科の授業でも扱いますかね。「ジェンダーとか人種など、人々の違いを認めよう! 少数派の人々を守ろう!」といった具合で教わりましたね。平等な社会を築いていくために大切な要素です。
ですが、私はこの「多様性」という言葉が嫌いです。勿論、差別を容認するわけではありません。何事にも縛られることなく己を発露できる社会、むしろ私の理想の世界です。
では、何故私が「多様性」という言葉を嫌うのか。それは今、世界で叫ばれる「多様性」が非常に浅はかなものであると感じるためです。
LGBTqの人々が差別を訴えている、黒人が団結して差別と戦っているなどに話題はよく耳にします。しかし、それらは比較的多い少数意見なのです。
「多様性」で本当に苦しんでいるのは、声を挙げられない、悩みを人に打ち明けることもはばかられる。そういった極々少数の人だと思うのです。
彼らは極めて少数なので団結し、声を挙げることもできません。他人の想像できる範囲から大きく乖離しているため、誰かに理解されることもありません。
例を挙げてみましょう。児童性愛、死体性愛、対物性愛、身体欠損性愛――あなたは理解できますか? 理解できないでしょう。それでいいんです。人が他人を理解するなど傲慢でしかありません。そういった「理解されることのない多様性」を抱えている人も、それがわかっているから己を他人に見せないのではないでしょうか。
そもそも人は己の価値観という物差しでしか物事を測ることができないのです。それは別に悪いことではありません。自分が想像できる範囲でしか想像できないのは当たり前です。某同じことを二度言う国会議員もびっくりするほど当たり前のことです。
ですが、自分の価値観で相手の苦しみを推し量ろうとするのは侮辱以外の何物でもありません。
結局、人間という生き物は色眼鏡無しでは世界を見ることができないのです。勿論、誰もがそうなので恥じる必要はありませんが。
そして、平等な世の中を創るというのは、お互いの違いを認め合う、女性を支援する、などという簡単な問題ではありません。
「多様性」を完全に理解することは不可能だ、と深く理解していること。お互いが適切な距離感を保てること。この二つが重要だと私は考えています。
しかし、今の世界には「多様性」という問題について浅い理解しかない人が多くいます。
普段から平等を声高に叫んでいる人の中にも、問題の表面しか見据えられてない人――それすらも視界に入っていない人が大勢います。世の中の流れに乗っただけの人間。「多様性」を建前に己の欲望を垂れ流す人間。「多様性」を深く理解している気になって自惚れている人間。そういった人々が多すぎるのです。
今でさえ、オタクは気持ち悪い存在だ、と世の中から排除しようとしている人が大勢います。皆が「多様性」を深く理解しているのなら、こういったことは起きないはずです。
中学の頃に何度も受けさせられた、ジェンダーに関する講演会。「LGBTqの人たちは〜」、「理解することが〜」。手垢にまみれた文句。ただただ原稿を読み上げ、思想を押しつけるばかりで、生徒たちに考える機会を与えない。
私は、そんな講師が浅はかな人間に見えて仕方がないのです。「ああ、この講師も問題の表面についてしか語らない、見えていないんだな」と。
私はひねくれ者なんでしょうね。思えば道徳の授業も馬鹿にしていました。世界に思想、考え方を押し付けられているようで。
「浅い理解」しか持たない人々が、自身の欲望を満たすために平等を叫ぶ。正義という言葉を笠に着て、無実の人々を一方的に殴り、殺す。そんな世の中に変わりつつある。その事実が私はどうしようもなく怖いのです。
「浅い理解」が広まったせいで、「本当の多様性」が否定されているような気がしてなりません。
「私は他人を理解できる」と言っている人も本当は「多様性」の上澄みしか理解できていません。
そういった「浅い理解」が「多様性」の底に沈んでいる人々に窮屈な生活を強いているのです。
「自分」は私にしかわからないし、それに名前をつけ、具象化できるほど単純で簡単なものではない。「多様性」というのは自己意識のプライバシーであり、他人が侵害したり、一方的に理解していいものではありません。
これは私一個人の意見に過ぎません。批判は構いません。むしろ嬉しいです。大切なのは考えることです。何も考えず、ただただ誰かに流されるのはやめてください。せっかくもらった頭です。空っぽにして、空いたスペースに他人の言葉、考えを詰めるのはもったいないことです。
考えて、生きてください。
以上、また国語の教科書みたいなことがしたかった蟹ノ尻尾でした!