全国かごしま総文祭文芸部門レポートbyだて

 鹿児島という本州最南端の地に行くまでにかなりの時間を要した。その旅程などは旅行自慢になるのを防ぐためにこの場では書かないでおこう。

8月1日

 鹿児島市内のホテルで前泊をしていたので、気合十分。開会式はすんなりと終わり、続くは文学研修。部誌部門で参加していた私は、桜島コース。桜島の周りをバスで一周し、道中で桜島についての講義を受けたり、図書館に寄ったりする予定だ。

 バスが出発すると、すぐにバスの先頭にいるガイド役の鹿児島県の生徒が話し始める。

出発地の姶良市はなにもない。そう自虐的に言っていたが、私はそうは思わない。確かに姶良市はベッドタウンで、鹿児島の中心地よりは活気がないのは事実だ。だが、海岸線の道から見える桜島は、この街の人が自慢してもよいと思える風景だった。

 桜島の北側から出発したバスは、時計回りに心地よく走っていく。たまたま隣に座った神奈川県や島根県の生徒たちと、鹿児島まで来る旅程や、前日に食べたものについて語り始める。

 時折、窓の外の風景について生徒による解説があり、先生による補足説明も入る。海ではブリやカンパチの養殖が行われていたことや、山(長野県民からしたら丘と呼びたくなるサイズだが)がとても急斜面であった理由を聞いたりした。鹿児島県の先生が鹿児島で焼酎が有名な理由を話し、何人かの部活顧問が面白そうに聞いていたのも覚えている。

 途中、道の駅で休憩をしたが、そこには「日本一長い足湯温泉」があったり、火山灰の缶詰が売られていたりした。ただの道の駅にしてはインパクトが強かった。

 その後、桜島に東側から上陸した(鹿児島市の人に言わせると「裏」から桜島にいった、と表すそうだ)大昔は桜島は島だったが、火山灰によって東側が九州本島とつながったそうだ。その様子は「埋没鳥居」からも見てとれた。埋没鳥居はその名の通り、鳥居の下ほとんどが埋まっている鳥居である。バスから見学したが、地上に見えているのはほんの一メートル未満で、あとは火山灰の下だ。火山灰の量に驚けばいいのか、それとも火山灰を耐え抜いた鳥居の強度に目を丸くすればいいのか。少しリアクションは難しかったが、桜島らしさを表す鳥居だった。そして写真を取り損ねた。バスからではじっくり見られないのが難点である。


 フェリー乗り場に移動して、昼食(私は訳あってコンビニのサンドイッチ)を食べる。小さな土産物屋があり、そこで私はスノードームならぬ、火山灰ドームを購入した。手作りで、小さくも丁寧に作られた桜島と、火山灰を降らせるというアイデアに愛着が湧いた。

 そんなことをしていたら、同じバスに乗ってきた人が、いつの間にかいなくなっていた。少し焦ったが、仲間たちが別の部屋に移動しているのを発見した。どうやら桜島についての講演会が始まるらしい。

 講師の先生は桜島への移住者や鹿児島県の住民のサポートや、ジオパークに指定されている桜島の観光ガイドをされている方だ。その先生がおっしゃっていた中で、強く印象に残っている部分がある。それは、「大地」を知ることで物事が面白くなる、ということだ。

 身の回りのいくつかの疑問は、歴史で説明される。だが、その歴史は自然環境が関係することが多く、その環境は大地に起因する。だから、大地を知ることで疑問について深く知ることができる、ということだ。

 具体例を挙げるなら、鹿児島では日本酒ではなく、焼酎が有名な理由を知りたいとする。答えは昔から焼酎を作ってきたから、とすれば間違いではない。だが、それは問題の本質ではないし、面白くない。日本酒は米を使い、寒いところで発酵させる。水はけの良さゆえに米を多く作れない鹿児島は、気温も高いため日本酒は作れない。そこでさつまいもを使って、蒸留させてアルコール度数を上げて……そうして焼酎が有名になった。こう説明すれば、なるほど、深く理解できて面白い。

 大地を知ることで、普段の生活が楽しくなる。それはこれからの私生活にも活かせるような気がする。

 短くも面白い講演会の後、ついにバスごとフェリーに乗り込む。桜島の西端から九州市付近までだ。船上のバスを降りてデッキを歩いてみれば、潮風が私の髪を揺らす。長野県民にして磯の香りが好きな私は、両手を大きく広げて風を受ける。服は帆のようにたなびく。どうせだったらタイタニックごっこをしたかったが、残念ながら相方がいない。

 船内にはなぜか、うどん屋があり、二十分もない船上での時間をうどんの早食いに費やす他校の生徒がいた。勇者だ。

 短い船上の時間は終わり、バスに戻る。バスの中で船に揺られるという滅多にない経験をした後、鹿児島市に入る。水族館横を通ったり、西郷像を通り過ぎたりして到着したのは、天文館図書館だ。

 街中も街中。一階から三階まではレストランや雑貨屋、ガチャガチャ店までが入っている建物に、四階、五階にオシャレな図書館が構えているとはだれが想像できようか。蔵書数は恐らくそこまで多くないだろう。だが、その本棚の並びと調度品の数々は、図書館の雰囲気を壊さず、それどころか心地よい空間に仕立て上げている。

 本棚は「そだつ」「くらす」「はたらく」「うみだす」というそれぞれのテーマで分類されている。他にもおしゃべりができたり、飲み物を持ち込んだり、図書館の中心にはカフェも併設されていたり。私の知っている図書館とは全くの別物で、新鮮な心地がした。

 本に囲まれる時間はあっという間で、集合時間ぎりぎりまで図書館の空気を吸って歩いていた。

 バスはそのまま出発地の姶良市へ戻る。私のホテルは図書館のすぐそばにあったから、できることならそのまま図書館に入り浸っていたかった。

バスの隣の席の生徒と再会を約束して、一日目の活動は幕を閉じた。

8月2日

 この日の最初は、全体交流会と称した都道府県対抗クイズ大会だった。詳細は他の人に任せるが、鹿児島について、総文祭について多くを知ることができた。

 続いては文芸部総文祭の目玉の活動、部門別分科会だ。私は文芸部誌部門で参加した。

会場は龍桜高校。どこかで聞いたことがある名前だ。会場については置いておいて、教室の指定された席に座ると、隣には昨日の文芸散歩でお世話になった神奈川県の生徒がいた。同じグループの他の生徒も話しやすい人ばかりだった。

 最初は部誌作りの基本について教わった。文字数、ページ数を数えて、雛形を先に作るべし。なるほど、作品を先に集めて、ページ数によって並べ方を制限されたり、調整のために後から文章を粗削りするよりも完成品がずっと良くなる。

 先生の教えの通り、与えられた部誌の材料(小説や短歌、俳句など)のどれをどの順番に並べるかを実践練習した。

鍵となったのはやはりページ数だ。偶数ページ、奇数ページの作品に分類して、見開きの左右どちらから文章が始まる方が見やすいのか。余白をどう使うのか。グループ全員で相談して、雛型であったが、一つの部誌を作るように丁寧に作っていった。

 行数列数、文字のサイズ、段組、そういったものが全て決まっていて、初めて『綺麗な』部誌を作れる、それを実感した。グループのリーダーが私たちで作った部誌の雛形(名前は「ごま団子」、グループGだったからだ)について、工夫点などをうまくまとめて発表してくれた。他グループの発表からも多くの工夫が見られて、今後の私たちの部誌に活かせそうな案もあった。

 最後の質疑応答の時間に私は「章立ては必要か」と質問した。今まで私は、部誌は章立てしていた方が、コンクールで良い評価をされる傾向があるように感じていた。だが、今回の先生の作っている文芸誌には章立ては一切なかった。

 先生曰く「文芸誌には章立てはいらない」章立ての意味はなんなのか、それが見えないのでは意味がない。もちろん文芸誌と部誌は違うものだろう。それでも章立ては必要ではないと言い切った先生に、なにか新しい、自分が知らない世界を感じた。

 少し時間は遡るが、昼休憩の間に多くの学校と部誌を交換した。サイズも名前もページ数も内容もまちまち。だが、それぞれの部誌に注がれた熱意の量はどれも並み大抵のものではなかった。他校の部誌から工夫を盗み、自分の部誌に変換していく。これが部誌部門での切磋琢磨だろう。


 今回記した活動だけが全てではない。全体での活動や講演会については達筆な他の方に任せよう。私は今回学んだことを活かし、後輩に受け継いでいく。一生に一度の総文祭、それをずっと先、後世にまで伝えていく。これが私の役割だ。

(このレポートは長野県高等学校「文藝譜」に掲載するために執筆されたものです)

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