「呪い」の読み方 by雪村平良

 こんにちは。「聴いてはいけない」と言われている恐ろしいボカロ曲を聴いてしまい、浅眠が続いている二年の雪村平良です。誰かあの記憶を抹消する方法を教えてください。
 念の為言っておきますが、ベートーヴェンの「エリーゼのために」を四回通して聴くとか、ベクシンスキーの絵を三回見るとか、そういう冗談はいらないですからね。
 ……さて、私の心には恐怖が巣食い続けているわけなのですが、前置きはここまでにして本題に入りましょう。
 皆さんは「呪い」という言葉の読み方がわかるでしょうか(馬鹿にするなよ雪村? という声は無視します。ちゃんと言いたいことがあるのです)。
 私は「のろい」と読みました。ですが、「まじない」と読まれた方も一定数いらっしゃるのではないでしょうか。
 「のろい」は誰かを絶望のどん底に叩き落としたり、失敗することを願ったりするという負のイメージがありますよね。誰かに呪いをかけられて「やったぜ! 俺は呪われてるんだ! ひゃっほう!」みたいな考えに至る人はほぼいないんじゃないかと思います。「呪い」で、私は丑の刻参りをイメージしたのですが、皆さんはどうでしょうか。あらゆる可能性を考えていたら、さらに眠れなくなりました。助けてください(自業自得だ阿呆という声は無視します)。
 一方で「まじない」は人々の願いを叶えるために用いる手段のことを指していて、その願いが良いことであろうと悪いことであろうと使える表現なのだそうです。卑弥呼が国を治める手段として「まじない」を用いたわけですから、私は良いことに対して使う表現だと思うのですが……悪い用法も見かけるので、主観だけでものを言うことはできなさそうです。
 長々と「のろい」と「まじない」のちがいについて述べてきたわけなんですが、私が言いたいのは、日本語って単純じゃないから面白いんだよなぁということです。
 今更ながら気付いたんです。漢字ひとつとっても、たくさんの意味や読み方がある。だから、ネガティブな言葉もポジティブな言葉に変換できる。
 言い換えるのが難しい言葉も、試行錯誤して、何とか言い換えて、気持ちを一生懸命明るい方へ導いていこうとすることができる――この考え方を、大事にしていたいなと思わされたのが「呪い」という言葉だったんです。だから、この思いを何とか書き留めておきたいなあと思い、今回は「呪い」をネタにさせていただきました。
 本当は「お呪い」と表記して問いかけたかったのですが、「お呪い」と書くと「おまじない」と読む人が多いかなぁ……と思ったのでここは敢えて「呪い」と表記させていただきました――そうです誘導尋問みたいなもんですごめんなさい。

 もう一度問いましょう。皆さんは「呪い」をどう読みましたか?
 私は「呪い」を「まじない」と読める自分でありたいなと思いつつ文章を書かせていただきましたが……皆さんは「呪い」という言葉をどのように感じているでしょうか。恐ろしい印象をお持ちでしょうか。それとも、少しは明るい印象に変わったでしょうか。

 遠い昔、「お呪い」を呪いの尊敬語か何かだと思っていた私がいたことはここだけの話。「おまじない」という読み方を知った私なら、きっと、もっと明るく生きていくことができるでしょう。
 では、今回は(綺麗に話が纏まりそうなので)この辺で終了といたします。最後になりますが、私の拙い文章をここまで読んでくださり本当にありがとうございます。