立夏のパンドラby煉瓦【No.3】
十二時を過ぎた頃、LINEの着信音で孝彦は目を覚ました。
蝉の声が聞こえる中、目をこすりながらゆっくり背中を起こす。
「なんだ、こんな時間に」
『ごめん見つかったかも』
「......は?」
心臓を潰されるような感覚に襲われながら、孝太はスマホで文字を打った。
『外に出たりしたか? それか声でバレたのか?』
『分からない』
『今どういう状況だ? 』
『あれからずっと女バレの部室にいるんだけど、誰かがドアをバンバン叩いてる』
『隠れたままでいろ。この時間となると教師はまずありえない』
『警備員とかかな』
『だとしたら声もかけずにドアを叩いたりはしないだろう』
もっと危険な類なのは明らかだ。
『他の二人は大丈夫か? 』
『ウチらは割と大丈夫っすよ』
『ボクも割と平気』
孝太は毅と尋人を起こし、事情を説明した。
「おい、やべぇじゃねぇか」
「逃げた方がいいでしょうね。どちらにせよ向こうの三人を救出しないとですが」
二人とも流石に焦った様子で、グループLINEの通話内容を目で追っている。
するとそこに再び着信。
『音が止んだ。足音がしたからどこかに行ったかも』
「......どう思う? 」
「まだダメだ。安全だって確認できてねぇだろ」
「同意見です。確認するまでは......僕らが行って外から確認するしかないでしょうね」
「一応言っておくけど、かなり危険だ。見つかるかもしれない」
「見つかったならそれはそれで良いじゃねぇか。向こうの三人が逃げる時間くらいは稼げるだろ 」
「……その通りだ。行くぞ」
尋人がカーテンの隙間から誰もいないことを確認し、孝彦が言う。
「いいか。絶対に音立てるなよ」
二人は頷き、孝太は勢いよくドアを開ける。
すると、ドアが何か重いモノにぶつかった。
黒い箱のようなそれは勢いよく倒れ、中からガラガラと音を立てて何かが零れる。
おい、とでも言いたげな目で毅と尋人が孝太を見る。
(仕方無いだろ!? なんでこんな所に物が......)
孝太がその理由を悟ったのと足音が聞こえたのは同時だった。
「走れ! 」
二人も足音に気がついたのか一斉に駆け出す。
逃げる直前、視界の端に一瞬だけ黒い人影がうつる。
先頭に出た毅は右へ左へ角を曲がって素早く走り、二人もその後に続く。
ドアを開けて中に入り、毅達はそのまま廊下を曲がりながら駆け抜けて行った。
五分ほど走り終えた三人は、近くの教室に隠れて座り込む。
「はぁ……流石に撒いたよな 」
「とはいえ危なかったですね。さっき女子の方に行ったのも何かしらの危険人物とみて間違いないでしょう」
「そもそもソイツって危険人物なのか? 」
「そうでなければ一人で追ってきたりはしないでしょう。本来なら大声で人を呼んでもいいわけですし。」
それもそうか、と納得した毅は立ち上がる。
三人は教室を出て、先程校舎内に入ったドアを目指した。三人が通ったのは北校舎の入口だ。
「さて、ここのドアだったよな」
毅がドアを強く押した。
ドアは開かなかった。
「は!?おい、開けよ!開けって! 」
毅が何度押しても、ドアは開かない。
「閉じ込められた、ということでしょうね」
「クソッ、なんで鍵の開け閉めできるんだよ!?助けに行けねぇじゃねぇか!」
「それ以上にマズいのは、アイツが校舎内にいる場合だな。俺達はアイツと同じ檻に入れられたことになる」
「一旦、女子達に連絡しませんか? 」
尋人がスマホを開くと、既に連絡が入っていた。
『大丈夫!? 』やら『返事して! 』やら、そういった文が二十近く並んでいた。
『心配をかけた。とりあえず俺達は無事だが、少し面倒なことになった』
『よく分からんヤツに追われて校舎に閉じ込められて出られねぇ』
『そちらの状況を教えてもらえますか? 』
少しして、女子達からの返信があった。
『外に出たら警備員のお兄さん拾ったっすよ』
『拾ったってなんだよ? 』
『倒れてたっす。だから部室に引きずり込んで起きるまで待ってたっすよ』
起きるまで待った、ということはもう起きたのだろうか。
連絡をする余裕があるのだから、きっと味方につけることはできたのだろう。
これはいよいよ何かしらの罰則は避けられなくなってきたぞと腹を括る三人だったが、この状況下において大人が味方につくのは非常に大きなアドバンテージだ。
『おい、悪ガキ共』
怜奈のLINEから送られてきた一言に場が固まる。
『え、玲奈? どうした? 』
『説教は後にしてやる。まずはそっちの状況を説明しろ』
それが件の警備員だと気付いくと、孝彦は自分達が夜の高校にいる理由と襲われるまでの経緯を説明した。
『大体分かった。この様子だと犯人は高校の人間だろうな』
『鍵を開けたり閉めたりできたからですか』
『そう。ただ他のことは分からん。何か手掛かりはないか? 』
『文好の部室前に、黒い箱があると思います。中身を確認する余裕はありませんでしたが、まだ回収されていないならあるはずです』
『分かった。女子三人を護衛しつつ、調べてくる』
こうして一度連絡が途切れ、男子達は校舎内で身を守ることになった。
「まずは向こうの四人と合流するしかねぇと思うんだが……」
「鍵が閉まっているから行き来はできません。でも、確か職員室になら鍵がありますよね」
二人の言葉に、孝太は頭の中を整理する。
今いる出入り口は、北校舎の端にある。職員室がある南校舎に行くには、中校舎を経由するルートか中庭を突っ切るルートの二つが存在する。
となると、やはり警戒されるのは近道である中庭ルートということになるだろう。
「中校舎を通って取りにいくぞ。回収するのは昇降口の鍵だ」
二人は早速、外の四人にLINEで連絡した。
自分達はこれから中校舎経由で職員室に鍵を取りに行くということと、鍵を取れたら昇降口を解錠して合流しようということ。
『本当に危なくなったら言えよ。最悪窓を割って入ることになるが』
「……行くか」
孝太の合図で、三人は小走りで職員室を目指した。
職員室まで残り半分となった頃、先頭を走っていた孝彦が突然二人を制した。
「おい……あれ、見てみろ」
そこには中庭が見える窓があった。
窓から見ると、一人の人影が中庭の中央に立っているように見える。
背格好や体格からして細身の男。
黒いジャンバーを羽織って、手には棒のような物を持っている。
「職員室で待ち伏せなんかされてたらおしまいだったが……その心配は無くなったな」
中庭は北校舎、中校舎、南校舎に囲まれるように位置していて、三つの校舎を一度に見回すことができる。位置取りとしては間違っていないのだろうが、これで安心して職員室に向かえる。
三人は窓から姿を見られないように屈んで通過し、そのまま職員室を目指した。
そのまま三つほど角を曲がり、職員室に到着する。
「まさかとは思うが、ここは閉まってねぇだろうな」
「アイツが鍵を持ち出している以上は大丈夫だろう」
尋人はドアを開けて中に駆け込み、
「ありました。急ぎましょう」
壁にかけられた鍵の中から昇降口の鍵を取り、そして……
「嘘だろ!?」
「なんで……」
頭に衝撃を受け、その場に倒れた。
混乱している二人にだって見当がつく。
読まれていたのだ。
鍵を探してここに来ることを読まれて、先回りされたのだ。
見ていた二人は呆然とし、力無く項垂れる尋人と、黒い棒を持ってその横に立つ男を見る。
「残念です。言いつけを守っていれば無事に済んだでしょうに」
フードの下から顔を出したのは白髪と長い髭が目立つ老紳士然とした男、この高校の理事長である岩櫃政一であった。
「おい理事長先生、こりゃどうしたことだよ? 」
震える声を必死に抑え、冷静を繕って毅が問い質す。
「感心しませんね。大人に向かってその口の聞き方は無いでしょう。しかもこんな時間まで隠れているなんて、部活停止は免れませんよ」
棒を持って躙り寄る岩櫃。
二人はじりじりと後ろに下がるしかない。
「まぁ尤も……あの箱を見られた以上生かして返す気もありませんが」
「箱……? 」
「気にする必要はありません。知っていようがいるまいが、今更殺すことに変わりは無いので、ねぇ!」
「うぉっ!? 」
振り下ろされた棒を毅が左腕で受ける。
骨に響く衝撃を堪えながら、毅も右腕を振るって岩櫃を打つ。
「平気か、毅!? 」
「おう、左腕やられたけどな。二発目来たらお前が防げよ」
毅の殴打で尻餅をついた岩櫃は、殴られた肩を擦りながら立ち上がる。
「暴力か……素行不良にも程があるね」
「言ってること全部ブーメランだろうが! 」
語気を荒げて言い返す毅に続いて、孝彦はあくまで冷静に尋ねる。
「先生、本当にそれだけですか?」
「それだけ、とは……挑発でもしているのかな?」
「警戒です。怜奈達や例の警備員さんの話が事実なら、警備員さんが気絶していたのは多分先生の仕業でしょう。その警棒だって、その時に盗んだものですよね? 」
「あぁ黒田くん、君は本当に賢い生徒だね。我が校から輩出できれば良かったのに、惜しいなぁ」
岩櫃は棒を捨て、ポケットから小さな機械のようなものを取り出す。
「スタンガン……高校教師の持ち物じゃないですよね、それ」
「いや、備えあれば憂いなしという言葉があるでしょう。持っておいて良かったよ」
「俺は嫌ですよ、人を殺すための備えなんて」
できる限り会話を続けようと粘る孝太の視線は、倒れた尋人の左手に握られているスマホに向いていた。
外との連絡さえ取れれば、まだチャンスはある。
「ところで……もう良いでしょう。長々と話して、さっきから何を待っているんですか? 」
スタンガンからバチバチと電気が迸る。
あれを受けたら意識を保てない。素人でもそれは明らかだった。
「別に何ってわけでも。死ぬのを先延ばしにしたいだけです」
「おや、それはいけない。嫌なことから逃げていては立派な大人になれないでしょう! 」
孝彦に襲いかかる岩櫃。
電気が孝彦に直撃する寸前、何かが岩櫃の足を掴んだ。
「今から殺そうって相手に大人がどうとか、冗談のつもりですか?」
尋人だった。
右手で岩櫃の足を固く掴み、爪を立ててさらに深く握る。
「一発殴るだけで気絶させられるなんて、アニメの見過ぎですね」
「……クソッ! 」
尋人にスタンガンを向けた岩櫃の頬を、毅の拳が捉える。
するとスマホから気の抜けた着信音が鳴る。
『到着した。早く開けろ』
「分かってるよ」
孝彦は突然走り出すと、岩櫃の横を通り抜けて窓まで駆け抜けた。
ガチャリ、と重い音がして窓が開く。
「久しぶりだな岩櫃政一」
入ってきた男、制服を着た警備員は床に落ちた棒を拾って振りかぶる。
「また人のモノ持っていきやがって、性根だけじゃなく手癖まで悪くなったか? 」
「あ、ぁ……あなた、小野井くん、まさか…お前ぇぇぇぇ!!」
鈍い音が響き、岩櫃はそのまま項垂れる。
「おいメガネ、コイツ一発で伸びだぞ。アニメの見過ぎが何だって? 」
「いいえ、何も。お呼びしておいて正解でした」
「あ、」
こうして高校生六人と大人一人の夜は終わりを迎えたのだった。
***
上着をロープ代わりにして岩櫃を拘束し、七人は職員室の外の廊下で円になって座っていた。
「警備員の小野井藤介だ。とりあえずご苦労だったな悪ガキども」
短い黒髪を刈り上げた、鋭い目の男だった。
見た目からして年齢は二十代半ば辺りだろうか。
「お前らが言ってた箱の中身なんだがな、骨だった。今はとりあえず文好の部室に置いてある」
「部室にあんまり物騒なモノ持ち込まないでくださいよ」
あっさりと言い切る藤介に尋人は顔を顰め、毅は思わず尋ねる。
「骨だって!? いや、骨っつっても誰のだよ!? 」
「さぁな。たが、外を調べたら色々と見つかった」
そして藤介と女子三人は校舎の外で見つけたものについて説明し始めた。
舗装工事の影響で校舎裏の通路が掘られていたのだが、どう見ても工事とは関係無い大穴があった。
「埋めてた箱が工事で掘り出されるのを懸念した、とかそんなトコだろうな」
「でも動機とか手段とか、そもそも被害者が誰なのかも分からねぇじゃねぇか」
そこは警察の領分だろうが、と藤介が毅を小突く。
一方、孝太にはなんとなく予想がついていた。
「被害者……もしかしたら、九年前の……」
「どうかしたっすか?」
「いや、何も」
そうだ。
根も葉もない噂などしてしまったら、それこそ良くないではないか。
「まぁいい。後始末は俺がしておいてやるから、お前らは帰ってろ」
「でもボク達、取り調べとか……」
「構わない。今回の騒動は俺が一人でやったことにしておく。その代わり、犯人逮捕の手柄は俺が貰うがな」
ほら、早く行け。
藤介に促され、六人は裏門の方に走ってゆく。
「あ……そうだ、忘れてた」
「どうかしました? 」
立ち止まって振り返る孝太。
藤介が、初めて見せる笑顔で言う。
「俺の妹がここの生徒でな、見かけたら仲良くしてやってくれ」
「覚えておきます」
そういって再び走り去る孝太。
入れ替わるようにして、凪咲が戻って来る。
「どうした? 早く行けって言っただろうが」
「えっと、その……連絡先、欲しいです」
「ふっ……あははっ……なんだよ、こんな時に連絡先か? 」
ひとしきり笑った藤介は、目の前の真っ赤になっている少女にスマホを突き出す。
「気に入った。ほらよ、他の奴らにも……特に男共にバラ撒いとけ」
***
高校の外、パトカーの音を聞きながら六人は歩いていた。
「えへへ、LINE交換しちゃったっすよ〜」
「確かにカッコいいやつだったな、あの兄ちゃん」
結局全員が見事に絆され、帰りは藤介の話題で持ちきりだった。
(しかし、まさかの歳上か〜)
スマホを大事そうに持って微笑む
凪咲を見て、男子達は少し残念そうに溜息をつく。
男子達の密かな敗北を知ってか知らずか、怜奈は隣の少女に狙いを定めた。
「そういえば和歌ちゃん、そろそろ入部したらいいじゃないかな」
「えぇ、ボクが!? 」
「お、良いじゃねぇか。来いよ」
意外と乗り気な毅の反応に、和歌は今にも火を吹きそうなほどに赤面する。
「で、でも今からじゃ……」
「逃げてる間も『生きて帰れたら文好入りたい』って言ってたじゃない」
いよいよ爆発寸前まで真っ赤になった和歌は、逃げる怜奈を追いかけながら叫ぶ。
「それ言わないでよ〜!! 」
この後なんだかんだで和歌が入部したり、家族が出張中の孝太の家で合宿の続きをしたりするのだが、それはまた別の話。
***
事件から数日後、高校近くの安いアパートの一室にて。
「そういえば、この間お前の高校の奴らに会ったぞ」
「へぇ。手出したら殺すからね」
「出してねぇよ。LINE交換しろってせがまれたからしたけど」
「マジでなにやってんの!? 」
【本日のニュースです。市内の高校で白骨死体が発見される事件が起こり、同校の理事長である石櫃政一氏が逮捕されました。犯行を目撃した警備員の男性が……】
「お兄ちゃん、お手柄だったらしいじゃん。ニュースの取材とか出なくていいの? 」
「別に良い。そもそもアイツらのお陰だし」
「アイツらって? 」
「それより、今日は久々に溟のとこ行くぞ」
「そっか。……あ、そしたらお花買っていかなきゃだね」
まだ全てが片付いたのでは無い。
合わせる顔なんかありはしない。
それでも十年越しの復讐を遂げたんだから、今日くらい良いだろう。
自分に言い聞かせながら、藤介はスマホを手にとりLINEを開く。
ご丁寧にグループLINEにまで招待しやがって。
「お兄ちゃん、何ニヤついてんの? 怖いんだけど。ほら、もう行くんでしょ」
「おう、今行くよ」
また、溟にも紹介してやろう。
そんなことを考えながら、藤介は妹の後を追ってドアをくぐった。