【己の欲せざるところ】

(この作品は冬部誌に掲載予定の【己の欲するところ】の続編です。本作だけでも楽しめますが、
気になる方は冬部誌を是非とも手にとってみて下さい。もしかしたら【己の欲するところ】もnoteに
掲載するかも知れません)

「見たまえよ、我が助手。彼ら、また面白そうな事をしているよ」

 夕日が差す放課後の教室、その入り口のドアの裏に隠れながら星賀莉奈は言う。

「そうだね。早く帰ってくれないと学級委員の僕らも帰れないんだけど」

 星賀さんの隣で、僕こと落野架は答える。ちなみに助手になった覚えは無い。
 星賀さんが言う彼らというのは、我らがクラスにおいても殊更に有名な彼らを指している。

「クハハハハァ!遂に手に入れたぞ!コンビニで大人気の『七味唐辛子あんパン』をなァ!!」

 美味いのか不味いのか分からない謎のパンを次々にビニール袋から山ほど出しながら高笑いするのは、乱れた長髪と鋭い目つきが狼のような印象を与える大柄な青年。森羅万象を喰らう男、上馬銜徹徒である。
 この妙に中二病じみた二つ名を考えたのは星賀さんである。断じて僕では無いし、別にちょっとカッコいいなとか思ってない。

「アナタ、そんな量のパン買って胃袋も財布もよく保ちますね」

 隣で呆れたように言うのは、艷やかな黒髪をツインテールにした美少女。クラスの男子の二割を籠絡したという(星賀さん情報)傾国ならぬ傾クラスの女子、咲葉澄々。
 尤も二割という数字がどれくらいの凄さなのかは、人によって分かれるところだ。小悪魔じみた振る舞いに惹かれる男子は多いが、惹かれずに引いてしまう者も一定数いるため人気はマチマチである。

「そんなに食べて太らないんですか? 」
「お前らの分に決まってるだろ。流石の俺だって一人じゃ五個が限界だぜ」

 星賀と落野にも買って来たしな、と言って笑う上馬銜くん。優しい気遣いが僕の心を温め、あのゲテモノパンを食わされるのかという恐怖が僕の背筋を冷やす。温まった心と冷えた背筋、プラマイゼロで常温である。
 そんな量をよく食べられるな、というツッコミは今更である。考えてはダメだ。上馬銜くんは、そ
ういう男なのだから。

「ほら、さっさと食おうぜ」

 イケメンスマイルを浮かべながらゲテモノパンを配り始める上馬銜くん。ちなみに家庭科の成績は五(星賀さん情報)というイケメンぶりである。

「えっ……あ、ありがとう」
「ありがとー」

 受け取る声は二つ。片方は少し照れくさそうな咲葉さんの声、もう片方は眠たげな女子の声だ。
 声の主である小柄で華奢な少女の名は暁月春寧。授業中と登下校中以外の殆どを寝て過ごし、毎晩八時には寝るという(星賀さん情報)生粋の睡眠オタクである。

 「ほら、三大欲求トリオだ。あの三人が揃うと毎回面白いよなぁ」

 興奮した様子で笑う星賀さん。確かにあの三人は面白いが、星賀さんだけでも三人を喰い尽くして余りあるレベルで個性的な人物だ。
 星賀さんは異世界より送り込まれた使徒であり、この世界の均衡を保つ三大欲求の化身たる彼ら三人を確保すると同時に特異点の一つ『無欲』の僕こと落野架が三人に干渉しすぎて均衡を崩すのを防ぐために監視するのが役割なのだ。星賀さんも『知識欲』の化身で、ここまで妙に(星賀さん情報)が多いのも知識欲を司る彼女が権能で僕や彼らの全てを把握しているからに他ならないのである。
 何を言っているんだと思った方が殆どだろうが、これが僕らに関する星賀さんの脳内設定だ。

『頂きまーす! 』

 一方教室内では、三人が同時に元気よく挨拶してパンに齧り付く。

「うわ、これ美味えぞ! 」
「うん、おいしー」
「ヴォエッ」

 満足そうに笑顔を浮かべる上馬銜くんと暁月さん。そんな二人の横で苦しそうに口を押さえる咲葉さん。
 この場において最も信頼できる味覚を持つ咲葉さんが吐きそうになるほど不味いとなると、もはや我々の手に負えるはずも無い。

「七味唐辛子の辛味がパンの芳醇な味わいと白餡の甘みを引き立てて最高に美味いな! 陳皮の苦みも良い味出してるぜ! 」
「うん、いける」
「甘い辛い苦い甘い辛い苦い甘い辛い苦い……うぷっ」

 上馬銜くんが繰り出す最高に美味しそうな食レポに、幸せそうにコクリと頷く暁月さん。その隣には、いよいよ吐きそうな青ざめた顔で震える咲葉さん。

「おいおい、そんなに気に入ったか? 」
「う、うん」

 パン一つをどうにか完食し、蒼白を通り越して真っ白な顔色で笑う咲葉さん。

「あー、分かる! 人から貰うと不味いって言い難いよね! 」

 心底同情した様子で頷く星賀さん。失礼なのは承知の上だが、星賀さんなら平然と「うわ、まっず! 」とか言いそうだなと思っていたので驚いている。

「なら良かったぜ。ほら、もう一つやるから食えよ」

 そう言って二つ目を咲葉さんに渡す上馬銜くん。本来ならイケメン行動なのだろうが、この場合は極めて迷惑この上無い。

「あはっ……あ、ありがとうございまぁす」

 もう色々と諦めたような笑顔で二つ目に喰らいつく咲葉さん。涙目で時々えづきながらも勢いよくパンを貪り食う姿は、どうにも不憫でならない。

「うーわ……なんつーか、えっちじゃん」

 この自称『知識欲』、脳味噌が小学校で停滞しているらしい。

「バカ言ってないで、僕たちも行くよ。流石に居た堪れないし」
「チェッ……まぁ、そうよね」

 何やら不満げな声色ながら、しかし星賀さんはドアから入ろうと片足を踏み出した。しかし、彼女が室内に入ることは無かった。

「コラ、貴様ら! こんな時間まで何をしている! 」

 反対側のドアがガタンと音を立てて開き、少し低めの良く通る女声が響く。

「もう施錠時間を過ぎているだろう! 早く帰れ! 」
「お、おいマズいぞ! 彼女は……! 」

 星賀さんに説明されずとも、その女子生徒は学年でも名の通った有名人だった。
 我らが二学年における鉄の風紀委員長、岸堂鶴祇。綺麗に切り揃えられたボブヘアの黒髪に黒縁の眼鏡。何処を見ても「真面目そう」という感想しか浮かばない彼女こそ、不良が多かった三年生に殴り込みをかけ一日で制圧した『不良殺しのツルギ』その人なのである。

「ったく……こんな時間まで鍵を閉めず、残った奴らも追い出さず、このクラスの学級委員は何を
しているんだ」

 これは本当にマズい。見つかりでもすれば確実にシメられる。隣を見ると、あの星賀さんすら顔面蒼白で苦笑いしている。

「仕方無い。鍵は私が閉めておくから、貴様らは早く帰れ。このクラスの学級委員には、後日私が
灸を据えるとしよう」
(うわ、終わった)

 死を覚悟してゴクリと息を呑んだその時、僕の隣にいた星賀さんが「ちょっと待った! 」と結婚式の乱入宜しく教室に飛び込んだ。

「このクラスの学級副委員長は私だ! それから委員長はコイツ! 」

 依然として隠れていた僕の服を掴んで引っ張り出す星賀さん。何がしたいのか分からないが、こうなれば後は任せるしか無い。

「あっ、二人とも! 」

 ようやく吐き気が覚めたらしい咲葉さんがこちらを見て驚く。

「よォ、お前ら。随分と遅かったな。ほら、お前らの分の七味唐辛子あんパンだ」
「わぁい! ありがとう、上馬銜くん! 」

 星賀さんは嬉しそうに受け取ると袋を開封し、パンを半分ちぎって岸堂さんに差し出す。

「はい、お裾分け」
「不要だ。こんなモノで私が買収できると……むぐっ!? 」

 話している岸堂さんの口に半ば強制的にパンをブチ込む星賀さん。口に入れられたパンを咀嚼するたび、顔が案の定蒼白に変わっていく。

「うぐっ……ヴォエッ」

 先刻の咲葉さんと寸分違わぬ涙目で、口を押さえて座り込む岸堂さん。
 星賀さん、すかさずスマホでパシャリ。

「あはっ、良いのかなぁ? 『不良殺しのツルギ』がこんな醜態晒しちゃってさぁ! 」

 精一杯作っているであろう悪そうな笑顔で言い放つ星賀さん。

「貴様、ごほっ……こ、こんなマネして……タダで済むと……うぐっ」

 ゲテモノあんパンの余韻が長いらしく未だに苦しそうな岸堂さんを見下ろした後、星賀さんは咲葉さんの方を見て言う。

「ほら、澄々ちゃん! 此処に澄々ちゃん好みの美少女が居るけど、どうするね!? 」
「え〜、そりゃあ勿論……」

 二人は顔を見合わせ、濁り切った目を細めながら言う。

『着せ替え人形、決定です! 』

 何処からともなく出したアニメキャラらしき衣装を片手に咲葉さんは岸堂さんの手を取って隣の教室に連行する。

「上馬銜くん、みえない」
「見えなくて良いんだよ。むしろ見るんじゃねェ」

 暁月さんの目を塞ぎながら、自分も真っ赤になって目を逸らす上馬銜くん。
 一方、純粋無垢な暁月さんはいきなり塞がれた視界に混乱した様子だ。

「お、おい貴様! 止めろ、何をするっ……止めろぉぉー!!! 」

 倒されるラスボスのような声を上げながら、岸堂さんは隣の教室に連れられて行った。
 静かになった教室で、数秒の静寂を破ったのは上馬銜くんだった。

「なァ、アレ大丈夫かよ」

 実際、心配なところである。これで訴えられでもしたら、最悪負けかねない。

「大丈夫だよ、多分。澄々ちゃんだって加減は弁えてるだろうしさ」

 確かに咲葉さんが持っていた服はロングスカートのメイド服やら魔法使いキャラのローブやら
 フリル塗れのドレスやら、やたら露出が少ないものばかりだった。

「だからって大丈夫とも思わないんだけど」

 そう言う僕に肩を竦め、星賀さんは声を張り上げる。

「さぁ、君たち! そろそろ帰ろうじゃないか! 」

 コクリと頷き、足早に教室を去り下駄箱に向かう上馬銜くんと暁月さん。

「さて、僕も……」

 教室を出たところで、僕はふと隣の教室から聞こえる声に気づく。

「ねぇ、星賀さん。一応、やりすぎてないか見てきてくれる? 」
「そうだね、確かに少し気になるな」

 星賀さんが隣の教室を見に行ったのを確認し、僕は昇降口へ向かった。

***

「さてさて、二人の様子は〜」

 星賀莉奈がドアから教室を覗くと、
「何だ、ただの舞踏会か。心配して損したよ」
 外が暗くなり電気がつけられた教室に広がる予想以上にピュアな光景に安堵して、莉奈は架たちを追って階段を降りた。

「わぁ〜! 鶴祇ちゃん、凄く似合ってるよ! 」
「そ、そうか? ふふ、そうかな……。こういうの、私には合わないと思ってたんだけど」

 そこには綺麗で豪華なドレスに身を包んだ、二人の少女の笑顔があった