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旅する日本語 第8語 「標高634mの奇偉」
これというきっかけは特になかった。
なんとなく、宇都宮に餃子でも食べにいくか、日光に東照宮でも見に行くか、そんな思いつきだった。
僕の夏休みにあわせて、妻が3日間有休をとってくれた。初日は体調が悪いと一日寝ており、2日目は午後にようやく復調、近所のプールに涼みに行った。そして、3日目、ようやく僕らは宇都宮・日光を目指した。
地元駅から池袋駅へ、そこから赤羽駅まで出て、宇都宮線に乗り換える。どうやら朝から人身事故で遅れが出ており、車内でも55分の遅れ、とアナウンスされていた。そんな遅れてきた宇都宮線に乗り、宇都宮駅へ向かった。
お昼前に、宇都宮駅に降り立つ。まずは駅ビルの中にあった「宇都宮みんみん」で餃子を食した。
馴染みのある焼き餃子に加え、水餃子、そして揚げ餃子をオーダーした。なんという餃子の餡のアッサリ感!いくらでも食べられる軽い餃子に仕上がっていて、箸が止まらない。水餃子も皮がモッチリしていて、新感覚だった。焼き餃子で餡を、水餃子と揚げ餃子で皮を楽しむ宇都宮餃子。これは毎日食べられる餃子だなと思った。
腹を満たしてもまだ、次の日光線まで時間があった。駅ビルから外に出る。平成最後の夏、太陽は殺人的だった。それでもそんなバカみたいな暑さが、その分、夏休みを実感させてくれる気もした。歩いていると餃子像が目についた。
写真を撮っていたら後ろから「撮りましょうか?」と女子旅2人組が声をかけてくれた。大丈夫だと伝え、あちらの写真を撮ってあげたら、「そちらもやっぱり撮りますよ」と言ってくれたので、お言葉に甘えて撮影をお願いした。2人旅だとなかなかできない記念撮影。いい記念になった。
さて、小一時間どうしよう。
看板の案内図を見ていると妻がここは?と「おしどり塚」を提案してきた。「おしどり夫婦な私たちにちなんで」「何があるかわからんけど」と言う妻に、「じゃあ何も調べずに行ってみよう」と乗っかる夫。探検気分で何も調べずに行ってみると、思っていたのと全然違うばかりか、想像の斜め上を行っていた。
人気のない公園で2人、顔を見合わせ爆笑した。そして、暑さと時間のなさから、さすがにバスで宇都宮駅へ戻った。
宇都宮駅に戻り、日光線へ急ぐ。
乗り込んだ電車は、一日7本(そのうち日光駅までいくのはたった3本!)しかない観光仕様の「いろは」号。
日光線は、ホームからして観光仕様で、電車まで当たりを引いたのでテンションがあがった。向かい合わせのボックス席に座ることもでき、旅気分が一気に高まる。
小一時間電車にゆられ、ついに日光駅に到着した。趣きあるホームでしばし撮影会となった。
東照宮まではバスで移動かと時刻表を見ようとした。すると、バス停にちょうど「世界遺産めぐりバス」というのが停まっているのが見え、走って乗り込んだ。
後からわかったのは世界遺産めぐり手形というバスの一日乗車券があったこと。あまり調べて行かなかったので、普通にSuicaで乗ってしまったのが少し悔やまれた。
ちなみに、文化庁HPによると、日本には2018年8月現在、世界遺産が17箇所ある。東照宮は、「日光の社寺」として、二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)、輪王寺(りんのうじ)と合わせて1999年に世界遺産に登録されている。
世界遺産めぐりバスに乗ったことで、改めてこれから世界遺産に行くのだと、急に高揚感が増してきた。バスの中を見渡すと、外国人観光客ばかりだった。バスの運転手さんはぶっきらぼうな口調ながら、慣れた感じで乗ってくる外国人観光客たちに行き先を訊ね、「ネクストバス!」としっかり案内しており、さすが観光地のバスドライバーだと関心した。
途中、神橋という、こちらも有名な観光地らしく外国人観光客がごっそり降りていったが、渓谷に見事な赤い太鼓橋がかかっており、ちょうど浴衣の女性が橋の中腹にいて、風情のある風景で、「ここも今度行きたいね」と妻が嬉しそうに言っていた。
そして、バスが山の中へ入っていき、360度緑、という空間に降り立った。
標高634mーー東京スカイツリーと同じ高さまできた。
いよいよ東照宮へ足を踏み入れる。
結婚前、一度1人で来たことがあったが、その時は中までは入らなかったので、今回初めて拝観する。妻は日光自体初めてだ。表門をくぐると、そこには、まさに文化遺産と言える空間が広がっていた。
まずは有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の彫刻が施されている神厩舎を見る。
この三猿が、猿の成長を描いた複数の彫刻の一部というのを知り、感慨深い。
続いて国宝陽明門を見上げる。
圧巻である。息を飲むとはこういうことか。
神は細部に宿るというが、この造形物なら神も宿るだろうと思わせる程、奇偉な美しさ。2人して「すごい」としか言えなかった。
続いて、奥宮入り口の門に施された眠り猫を拝む。
しかし、その先の奥宮に行くには200段の石段を登らなくてはいけないと書いてあり、妻が真っ先に断念した。
その後、御本社に入ると、ちょうど座敷で巫女さんがなにやら説明中だった。麒麟の由来などを説明されていて、最後に「みなさんで二礼二拍一礼しましょう」といわれ、僕は家族の健康を願った。隣では妻がなにやら長めのお願い事。きっとまた、職場のことだろう。
ちなみに御本社の造形は本当にすごくて、撮影禁止だったので目に焼き付けてきた。妻が「権力者が芸術を支えてきたってことがよくわかるねえ」とつぶやいていたが、この世界遺産が今なお遺されているのはまさに徳川家の財力、権威の賜物だなと思わざるを得なかった。とにかく、あちこちに葵の御門が施されているのが印象的だった。
いろいろ見尽くした。しかし妻が「眠り猫のお守りがない」と訴える。先程、妻が陽明門の逆柱のお守りを買っていた場所に聞きにいくと、奥宮にしかないという。つまり、200段の石段を登るしかないわけだ。妻がやっぱり行きたいというので、奥宮へ向かう入口に戻った。
石段を登り始めると妻に異変が現れ、歩みが止まってしまった。足が痛くて、これ以上登れないという。僕は妻をその場に待たせ、ひとり石段を登っていくと、徳川家康の御墓所があった。そして妻待望の眠り猫のお守りを購入、妻がいる場所まで戻って合流し、2人で石段を降りた。
さすがに僕も疲れ切っていた。シャツは汗だくでまるで大雨に降られたよう。着替えを持ってくればよかったと思った。茶屋で冷やし大福を買い、しばしの休息をとる。大福の冷たさ、甘さと塩気が疲れた体に染み込んだ。
帰りは僕が行きたい店があり、店の閉店時間が気になり、タクシーで移動した。タクシーの運転手さんとの会話も楽しみながら、日光甚五郎煎餅の石田屋さんへ向かった。
お店につくと、冷たいお茶とせんべいを出してくれた。とてもありがたかった。
石田屋さんの商品には猫のマスコットが描かれていて、店内には東照宮の眠り猫の絵や皿が飾られていた。店員さんに聞くと、甚五郎煎餅が、眠り猫を彫刻した左甚五郎の名にちなんだ商品名で、猫のキャラクターもやはり眠り猫にあやかったものとのこと。「まあ、この猫は寝てませんけどね」と店員さんが苦笑した。
おみやげを2人で選び、たくさん買い込んで店を後にする。とりあえずバス通りまで出ようと重い足を引きずりながら歩いていると、カステラ屋さんを発見した。休憩スペースもありトイレもあったので一休みし、ここでもおみやげを買いバスで日光駅に戻った。
復路は東武日光線で帰ろうかと思っていたが、「お腹もすいてきたし、夕飯も餃子でもいんじゃない?」と妻がいうのでJRで宇都宮に戻ることにした。
帰りの日光線内では、すっかり寝入ってしまったが、ふと目を覚まして車内を見渡すと、一両車内にはほぼ外国人で埋め尽くされていた。こちらが海外旅行に来ているような錯覚に陥るくらい、日本の観光地の外国人率は高いと実感した。
再び宇都宮駅に降り立ち、餃子第2ラウンド。今度は「宇都宮餃子館」へ入った。
三種類の焼き餃子(肉、エビ、一口)と水餃子、そして冷やし中華をオーダーした。
冷やし中華にも餃子が乗っていたのはさすが宇都宮だ。こちらの店の餃子もやはりアッサリしていて、どんどん胃袋に収まっていった。
そうして夜8時を過ぎ、もうやり残したことはない、と宇都宮線で帰路についた。
今回、宇都宮・日光の旅で感じたのは地元の方々のさりげないおもてなしだった。観光地としての心構えなのか、地域性なのか、ドライバーのマナーがとてもよかったのが印象的だった。歩行者が信号のない道路を渡ろうとしていたら、すぐに車が止まってくれたのに驚いた。東照宮の奇偉な美しさと、観光客に対するやさしさが、再びかの地へ訪れたいと思わせるよき旅だった。