私が本を買う理由 〜『わざわざの働きかた』を読んで〜
今やなんでもネットで買える時代。
ワンクリック、ワンタップで対価を支払っている感覚もないまま、商品が自宅に届く。
そんな時代だからこそみんな、人とは違う体験をいかに手に入れるかに時間とお金を使いたがっているのかもしれない。誰もが簡単にはできない、何か“とくべつ”なことをしてSNSにあげ、いいねをたくさんもらいたい。
だからわざわざ山の上まで行くのだろう。この現代社会に、山の上にあるわざわざだからこそ、人はわざわざいくことを選ぶのだ。でも、これはわざわざのお客さん側の話。客は非日常を求めて、山の上までわざわざ行く。
『わざわざの働きかた』を読む前に、同じ釜の飯を食う、という平田さんのnoteの記事を読んで、こんなことを考えた。
食事を楽しく共にできること、それは家族としてもとても重要なこと。一緒にごはんを食べた時間の分、人は家族になれる。わざわざも家族のような共同体なのかなと、食事風景の写真から想像。わざわざで働きたいというより「暮らしたい」と思えるか、なのかな。
わざわざで働くということ
そして、『わざわざの働きかた』を読んだ。読みながら、わざわざで働く側の気持ちで考えてみた。わざわざで働くということは、おそらく、そこに移住して暮らすということになる。そうなると、普通に仕事を探す時には考えないことが気になってくる。
山の上だから車を運転できないといけないのかな(私は運転免許がないから無理かも)、移住する家は職場の近くで探せるのかな(その前に、私はだんなと一緒にいたいから移住は厳しい)、休日や仕事帰りには、どんなことができるのかな(本屋さんあるかな、スーパーは?飲食店は?食生活はどんな感じになるんだろう)などなど。
わざわざで働くために移住しないといけないとしたら、まずは一度お店に客として行ってみることが必須だろうし、非日常を日常にするためには、自分がそこで暮らせるか、確かめる時間が必要だろう。
暮らしは、綺麗事や熱意だけでは回らない
結婚して移住することになった場合は、移住先に不安があったとしても、自分の人生を預けられる相手と一緒になったはずなので、なんとかなる。というか、なんとかする。けれど、転職に伴う移住の場合、本当にわざわざに自分が合うのか、移住したはいいけどそこでの暮らしが自分に合うのか、わからないことだらけでは、やはり二の足を踏む。
家族以外を最優先してやる意味がわからないのです。家族と一緒にいたいからこの仕事を選んだのです。
家族と一緒にいたいから、この仕事を選んだという平田さん。ならば、平田さんみたいにだんなさんやお子さんがいる女性は、たとえわざわざの価値観に共感できても、簡単には移住できないのではないだろうか。
働くことは生きること
単身者なら、自分のことだけ考えて決められるかもしれない。でもいま、家族と一緒に暮らしていたら、家族単位の暮らしを一人の価値観で変えるのはやはり難しいのではないだろうか。
この本はラブレターなのかもしれません
平田さんはいう。だとしたら、誰宛のラブレターなのだろう。どんな人なら、わざわざに共感して、移住して働けるんだろう。
働く人たちにもストーリーがある
多分、彼女がいなかったらこんなにわざわざは伸びなかった。
私がやりたくないことをサラリとこなし、ダメなところをフォローしてくれる。
人間凹凸があるとよくかみ合う。
平田さんの一番の理解者であるゴトウさんは、その地域の方なのだろうか?お店に買いに来たお客さんだったというが、働くために遠方から移住して来たのだろうか。ゴトウさん側の話を読みたいと思った。
働いている人たちが、移住してきた人たちが、何を決め手にわざわざで働くことにしたのか、暮らしてみてどうなのか、聞いてみたい。平田さんにストーリーがあるように、平田さん以外にもストーリーがあると思うし、働く側で考えたら、そちら側も知りたいと思う。
人にはできることとできないことがある。
人は多くのことを一度にできない。
働いている人が幸せでなければ、店に来た人に幸せを分けてあげることはできないのだから。
果たして、家族を犠牲にせずに移住してわざわざで幸せに働ける人がどのくらいいるだろうか。家族も仕事も趣味も大切にしたい、誰もが思うけれど、人間に与えられた時間は限られていて、どれも100%というわけにはいかない。
結局は人間と人間のつながりで私たちは生きています。
つながれるかわからない中で、自分の役割を探すのは、なかなかシビアな世界だなと思う。だからこそ、知り合いもいない山の中に嫁ぐような気持ちで入っていった人たちに、その動機を聞いてみたい。
仕事で信頼されるには
何も面白みのない日々の仕事が、今を作る。
信頼はどうやってできていくのだろうと振り返ってみると、やはりこれも小さな行動の繰り返しを積み重ねるということしかない。
私はこの平田さんの考え方が好きだ。全ての仕事は、日々の地味な作業の繰り返しでその積み重ねの先にしか、信頼は生まれない。チームの中で足りていない役割を見つけ出し、自分の特性を活かして、仕事を作るのも得意な方だと思う。お店が通える場所にあれば、一緒に働いてみたい。けれど、自分にとって一番大切なものは平田さんと同じく家族で、だんなと離れて暮らさなければならないとしたら、その仕事をする意味は私にはない。
お互いのできることを完全分業して任せるスタイルに変更してから、最高のパートナーになった。
平田さんのだんなさんは、自分が仕事をやめ、わざわざで働いてくれたかもしれない。でもそういうだんなさんは多くはないと思う。
職場で働いている人と補完関係になれるか、自分ができないことを誰かがしてくれて、自分にしかできないことを任されてできるか。わざわざというコミュニティで自分の役割を見出せるのか、それはある程度暮らしてみないと結局はわからない。そして、やっぱり平田さん以外の方の役割も知りたいと思う。どんな人がどんな役割を担っているのか。きっとわざわざで暮らすためには、必要な情報。この人たちと暮らしたいと思えるかどうか。
仕事は何をするかより、誰とやるか
究極的に言うと、一緒に仕事したい人と仕事できるなら、仕事内容なんて多少どうでもいいんじゃないかと最近思う。もちろん得意なことや苦にならずにできることをやれるに越したことはない。でも、どんなにやりたい仕事でも、一緒に仕事する人と合わなかったら、やっぱり続けてはいけないと思う。そして一緒に働いて楽しいと思える人が周りに多いほど、それだけ生産性もあがると思う。その方が力を引き出されるからだ。この人のために頑張ろうという想いは、自分が思う以上にとても強い。
あの人が働きやすいようにフォローしよう、あの人が使えるように資料をまとめよう、あの人がスキルアップできるようにサポートしよう、あの人にいいねって言われたいから面白い企画を考えよう。そんな半径5メートルくらいの世界があたたかければ、そこから生み出されるものはきっと、あたたかいと思う。
蛇足かもしれないが、夫婦でわざわざの理念に共感できる人がいたら、もしかして最適なのかなと思った。わざわざで働くために、家族ごと生活拠点を移せばいい。もちろん、その夫婦が一緒に働いてうまくいくかどうかは、結局やってみないとわからないけれど。
作者へのエールを
今回、自分が働くことに何を求めているのか、何に価値を置いているのか、わざわざの働きかたを読むことで、自分の思考を整理できた。そういう意味でこの本を買ってよかったと思う。
そもそも、私は読みたい本があったら新刊で買うようにしている。それはものすごい時間と労力をかけて、それをいつでも手にとって読める本という形にしてくれた作者への礼儀だと思っている。そして、また次の作品も読めるようにという作者へのエールだ。
だから、次にまたわざわざの働きかたがブラッシュアップされて出版されるとしたらまた購入したいと思う。「応援しています」という気持ちを贈り返したい。そして今年中に、お店に行ってみようと思った。
平田さん、素敵な贈り物をありがとうございました。
わざわざの働きかたは、こちらで購入できます!5月中は送料無料だそうです。
*追記*
明日からの楽しみができました。