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結局誰だって、愛されたい
5月さんこんにちはって記事書こうとしたらいつのまにか中旬になってました。
おはようこんにちはこんばんは
辞めたようで辞めていません。
西九条の女です。
いつも始まる挨拶
「おはようこんにちはこんばんは」
自分でも何でこの言葉が気に入っているのか分からない。
そもそも、この言葉を書こうと思ったきっかけは「トゥルーマン・ショー」という映画で主人公が言う言葉、
会えない時のために こんにちはこんばんは おやすみ
を少し引用しています。
あらすじは主人公が24時間監視されており、それが生中継(テレビ番組として放送)されているという内容。
もちろん主人公は自分が監視され続けていることと知らず、普通の生活を送っている。
しかし主人公以外の人も全て演技をしているという何とも考えさせられる映画。
もちろんあらすじだけじゃなくて、
カメラワークの位置や向きなど、凄く考え込まれている映画。
この映画を見て、思ったのは、
私たちは見ず知らずのうちに、誰かの人生の奥深くまで入り込んでしまっているのではないか、ということと、
羨ましい、ということ。
そう、私は見ていて主人公が凄く羨ましかった。
私も、誰かに注目され続けたい人生だった。
最終的に主人公は自分が放送されているという事実を知っていなくなったけれど、
誰からも求めれて、認められて、影響してもらえる人生なんて、正直死ぬまでないよって感じました。
どんな形であろうと、結局人間は、私は愛されたい生き物。
いわば承認欲求の塊。
けどそれって、私だけじゃないと思う。
今の自分にはないから、羨ましく思う。
けど与えられすぎると、嫌になってしまう。
人間って、凄くワガママだと思った。
そんなこんなで最近の私は、私自身を愛せていない。
「自分が自分のファンになる」って言葉を最近ある書籍で知ったんだけど、
え、私こんなのにファンになるの絶対無理だわ
って思いました(笑)
愛されたいとかほざいているくせに、自分のことは認められないのかよ!矛盾してるじゃん!って自分自身になりました(笑)
けどそれって新たな気づきでもあって。
自分を愛せていない=もっと自分は愛される人間になる って感じた。
既に自分自身にも、誰かにも愛されていたら、主人公のようになっていたのかもしれませんね。
結局何が言いたいかって、映画面白いですよって事でした。
本日はここまで。
また、いつか。