聖書で首を吊る
なんのために書くのか。
人に認められたいからではない。
書きたいから書いている。
そうだろう?
...っていうのが、SNSにいるクリエイターさんたちの共通意見というか...
聖書の一文というか...
そういうものになっている。と思う。
クリエイター聖書。
創作にまつわるねじ曲がりは全て、創作への向き合い方を履き違えている故に生まれる。らしい。
創作への純粋な熱意、己を表現したいという狂気だけで動けば、承認欲求モンスターになりはしない。らしい。
僕は……誰もいないたった一人の世界だったら·····多分、何もつくらない·····。
何かを毎日創って、誰からも反応が無かったら、間違いなく辞める。
あんま好きじゃないものでも、世間様にめちゃくちゃ愛してもらえたら、ノリノリで作る。
承認欲求モンスターなのかもしれない。
こんな日記書いてるし。
承認欲求モンスターは、何か創ろうとする度に、脳内が冒頭のクリエイター聖書の一文でいっぱいになる。
自分の創作への向き合い方がいかに不純か突きつけられて、後ろめたくなる。
同時に、なんか眠かったり面倒くさかったりする時、クリエイター聖書を掲げて「ま、俺は不純な人間だからな…。サボるさ。こういう時はね...」と言い訳して逃げる。しょーもない。
でもほら、崇高な人間じゃないからさあ...。
聖書は...理想。心に留めとくものであり...全部体現出来たらもう...神じゃん。
ああ、だから神絵師か...なるほど。
ま、俺、神絵師じゃねぇーしぃ...。
逃げの姿勢も大事だよな。
てか逃げ腰じゃないと創作できねぇしぃ...弱弱承認欲求モンスターだから...。
まあだから、なんだろ。
今日もネットの片隅で、聖書の美しい言葉を首にかけて、苦しくなったら、俺、ただの承認欲求モンスターだったんで創作辞めるわ🫡💦っつって飛び降りるつもりで、ダンボール箱の上で、自分のための創作を続けてる。
なんかダサくて、泣けてきちゃうな。