変な話『全てをわかっちゃった人』

 よく晴れた昼下がり。空は青く、高かった。

 遠くの交差点では、車のクラクションが鳴らされていた。

 男は、ジャケットを小脇に抱え、袖を捲っている。女は、日傘をさしハンカチでパタパタと顔を扇いでいる。誰しもが、まだ日焼けとは無縁の白い肌をほんのり火照らせていた。

 歩行者用信号機に足を止め、反対岸に溜まっていく人々をぼんやりと眺めていた。すると、すぐ斜め前に一人の男が立ち止まった。男は、サラリーマンだろうか。着慣れているであろうスーツと、履き慣れているであろう革靴で身を包んでいた。特別、気に止める男でも無かったのだが、視界に入ってきたのでごく自然と眺めていた。

 もう一方の青だった信号が点滅を始めた時、気持ちの良い風が、この交差点に吹き込んで来た。

 すると、斜め前の男がぼそりと呟いた。

「わかっちゃった」

 そして男は、ゆっくりと顔だけをこちらに向けた。その視線はどこに向けられているのか掴めない。男はまた呟いた。

「わかっちゃった」

 それは、閃きとは違った。喜びとも違った。恐怖や不安とも取れなかった。ただ、小さく「わかっちゃった」とだけ呟いた。えも言えぬその男の表情に恐怖さえ覚えた。

 男は、表情を変える事なくゆっくりと体もこちらに向き直すと着ていたジャケットを脱ぎ、ワイシャツのボタンを外し始めた。

 呆気にとられ動く事さえ出来ない。青になっていたはずの信号も点滅を始めた。

 男は淡々と着ていた服を全て脱ぎ捨て、全裸となった。そして再び

「わかっちゃった」と呟き、赤信号に変わった横断歩道を歩き出した。

 行き交う車の中を避ける事なく悠々と歩く姿は、まるで海を割ったモーゼのようであった。そして、横断歩道を渡り切ってしまう頃にはその男は、ふわふわと宙を漂い、終いには、雲の上へ腕を羽ばたかせ、飛んで行ったのだった。

 私は、天使を見たのだ。

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