「朝がくるとむなしくなる」を観て
あらすじ
感想
人は、疲れると食事を味わえなくなる
監督・脚本:石橋夕帆、主演:唐田えりかの映画「朝になるとむなしくなる」 を観てきました。 映画のタイトルを虚しくと漢字で表現せず、むなしくひらがなでしている通り、現代社会には蔓延る緩やかな絶望に焦点をあてている作品です。
劇的に暴力や不条理に打ちし流れて、それに激昂する映画ってわかりやすくて好きなんですが、正直現実ってそんなドラマチックじゃないですよね。戦争や飢餓が苦しんでいる人々がいるとテレビが報道していても、それを情報として把握しているだけであって仕事や、日常の悩みのほうが私たちの本質です。少なくとも僕はそんな世界で生きています。
この映画の主人公のように、僕も仕事をやめて数ヶ月ほど無職をしたことがあって、むなしく朝を迎えていたことを思いだしました。そんな時は、心が弱っているので日常を大切にできなくなります。
この映画でいうと、ご飯をコンビニ弁当とカップ麺で済ませている場面と、カーテンレールが壊れているのに放置している場面ですね。
ほんとこの心理描写はよく分かる。心情表現のメタファーとして天気を扱う作品も多いですが、現実的にその人の心理状況を一番表すのって食事だと思います。
お腹いっぱい美味しいものを食べて、イライラしている人ってなかなかいないですよね。味わって食べるのって案外体力使うんです。心の余裕がないとできない。疲れていると早く早く、焦って焦ってとりあえず胃の中に入れてしまう。そんな食べ方しか自分もできなくなっていたので、コンビニで済ませてしまう気持ちがとても良くわかりました。
映画としての表現と魅力
この映画の一番の魅力は、日常だと錯覚するほど自然に映画の世界が流れていることだと思います。ストーリーもとっても普遍的で、噂によく聞く話だと思います。
「あいつ、仕事辞めたらしいぜ。」
「なんで?いい会社じゃなかったっけ?」
「それが残業が多いらしくて、自分の時間が取れなかっただと」
うん。やはりよく聞く話です。
また、撮影場所がかなり限定されている。主人公の家、アルバイト先、帰り道、行きつけの居酒屋、友達の家、通勤で通る橋。
場所を限定することで、既視感を生み出すことに成功しています。何度も通るお馴染みの場所で、ストーリーがゆっくりと進んでいる。その中で、少しずつ主人公変化に合わせて場所も変わっていく。
仕送りのダンボールが放置されていた部屋 ->
無理やり開こうとして壊れたカーテンレールを放置した部屋 ->
カーテンレールが直った部屋 ->
友達が遊び来る部屋
また、主人公を親友が勇気付けるシーンでは、実際存在している漫画の名前を出すことや、ただ感謝で終わらずどうでもいいことを思い出したりなど日常感を出すための工夫が多数ありいいなと思いました。
個人的に、旧友との偶然の出会いから人生が好転していくストーリーは、自分が今後目指したい理想と似ている面もあり、素敵な映画だとおもいました。
もっと劇的な作品が好みですが、力を抜いて見れる作品も素晴らしいとおもいます。後、この作品の衣装さん好きですね。主人公の親友は、おそらく赤色が好きとか、衣装が役者さんとマッチしている且つ背景を想像させられました。