七夕さまと太宰

「七夕の日に雨が降ったら、織姫と彦星は会えなくて可哀そうですよね」と、好きなひとに手紙を出したことがある。すると意中のひとは「星のある場所は雲の上だから、地上に雨が降っていたとしても関係なくふたりは会えると思っています」と返事を来くれて、ますます惚れてしまった。男のひとはロマンチストだと思った。

では、我らが、太宰治さんはどうでしょう。

「バカノ果。コヨヒ、七夕祭。 治。」

この句は、昭和11年7月7日に太宰治が書いた手紙の冒頭である。この歌は、よほど気に入ったらしく、同じ文面で小館善四郎と大鹿卓宛に書いている。

この年は、ちょうど6月に『晩年』が刊行されたばかり。『晩年』の作品「葉」は一つのエピグラフと、36の断章より構成されていることから、太宰は、俳句が好きなこともあるし、連句の歌仙の形式から来ているのでないか、と言われている。この手紙は、そんな『晩年』の「葉」のように文学的だ。あとは、こう続く。

「今ヨヒ、誰ヲウラマム、
 ケフマデ、ワガイノチ在リシコト不思議、キミ、アナタ、先生、ミンナヤサシク、黙々ワレノ拝跪、今ヨヒ、感謝、マチハ豪雨、太古ノヒトノ微笑モテ、「ワレヲ罪セヨ。」水蓮ノ花。

仰々しくもドラマチックだ。

前日には、井伏鱒二宛てに、未だによい作品は残せてないが、きっと40歳になったら恥ずかくないものを書けるだろうから、40歳までは生きたい。だから、タバコも注射も酒も生き延びるためにやめました、という前向きな手紙を書いている。当時、太宰治は27歳。翌月には期待していた芥川賞の落選を知りかなり落胆をする。嵐の前の静けさのような七夕のひととき。ポジティブな七夕の誓い。

たなばた空襲

【写真 仙台市戦災復興記念館より防空壕の模型展示 著者撮影】

さて、それから9年後。昭和20年の七夕の日の太宰治はと言うと・・・。

7月6日、太宰治は、疎開先の甲府から弟子の小山清に絵葉書を書いている。手紙の最後には「これから私は防空壕堀り。何が何やら、ムガ夢中也。 不乙」とある。不乙という言葉、恥ずかしながら私は初めてここで知り、辞書で引いてみたが「手紙の末尾に書いて、気持ちを十分に書き尽くしていない意を表す」とあった。なんだか太宰さん、もやもやしてそう。

そして、6日の深夜から7日にかけて、甲府にB21戦闘機が飛来、焼夷弾を落とすのである。いわゆる甲府空襲だ。日にちから別名「たなばた空襲」とも呼ばれている。なおこの日は、千葉でも空襲があり、区別する為にこちらは漢字の「七夕空襲」と表記される。いづれにしても「七夕と空襲」「七夕と戦争」は全くもって似合わない。

津島祐子さんの自分のルーツである石原家をモデルとした小説『火の山 山猿記』の中にこの日の甲府空襲の場面がある。ご存知、津島祐子さんは太宰治の次女で、この小説の中には太宰治をモデルとした登場人物「冬吾」が出てくる。冬吾はこの日、防空壕には入らず、「へば、行ぐぞ!走れ!」と津軽弁で叫び、バケツの水を背中に負ぶった子どもにもかけて全速力で走り逃げている。あくまでこれは小説だが、たぶん津島さんなりにこの日のことは聞き取りをして事実を反映されていると思う。とてもリアルな場面だ。
 
筆まめな太宰治は、7月15日から色んなひとにこの空襲についての報告の手紙を書いている。

「全焼した。三鷹ではバクダン、甲府ではショーイダン。でも一家中に怪我無し」(7月21日付けはがき) 

手紙でもわかるように太宰治は、甲府空襲の以前、4月2日の東京三鷹でも空襲に遭っている。この日は、田中英光と小山清と三人、防空壕で生き埋めになる。津島美智子さんはこの時のことを「これほど恐ろしい体験はなかったでしよう。殆ど失神状態になっていたのでは無いかと思います」(※1)と書いている。

太宰治の『お伽草子』は、防空壕で子どもに童話を読み聞かせたことがヒントとなり創作された。その『お伽草子』の原稿は、甲府の空襲で家が焼ける中、太宰が手にして逃げ、焼夷弾の中で守り抜かれたものである。

その『お伽草子』の完全原稿が、日本近代文学館で行われた『生誕110年 太宰治 創作の舞台裏』(2019年4月6日~6月22日)で展示されているというので桜桃忌の日に見にいった。ガラスケースの中の原稿をじっと見つめながら、あの七夕の夜、どんな思いで太宰治は、この原稿を握りしめて逃げたのだろうと思うと胸がいっぱいになった。『お伽草子』をいまいちど、大切に読み返そうと思った。

令和になって初めての七夕。もしも笹の葉の短冊に願い事を書くのならば、もう文言は決まってくる。私たちがひととして持ちうる最大の武器は「想像力」。

星に願いを☆彡

※1 日本近代文学館編集『生誕110年 太宰治 創作の舞台裏』春陽堂書店 2019年より孫引き/津島美智子「後記」(創芸社版『太宰治全集』第11巻、1953年より引用)

◆参考 津島祐子著『火の山 山猿記』講談社 1998年
    『太宰治全集12 書簡』筑摩書房 1999年

◆仙台市戦災復興記念館 仙台市青葉区大町2-12-1