見出し画像

座右の銘

紹介してもらった本『エフェクチュエーション』に影響されて自分の言語化をしてみます。普段なら座右の銘とか絶対にやらないんですが…、、

1個目「枯れた技術の水平思考」

横井軍平さんの言葉。意味は「もう見向きもされなくなった古いテクノロジー(枯れた技術)を違う分野に落とし込むことで、全く新しい価値を生み出すこと」です。

僕の性格的に「特定分野を突き詰める」のは苦手。代わりに「他人がおよそ組み合わせないだろうユニークな分野の越境を通じた組み合わせ」が得意。

これまでも「築地市場で八百屋の卸」「ウェブ系スタートアップ」「地域活性化事業するベンチャー」「都内のシステム開発会社」を渡り歩きながら「コミュニティナース」「林業ボランティア」などに手を出してそこから「博物館」と「市民活動」に関わりながら「オンライン配信」まで手を出す人生。
おおよそ同じキャリアの人と会ったことありませんw

こんだけざっくばらんな領域を渡っていると「特定技能のプロフェッショナル」にはなり難く、いずれの領域でも「その分野なら誰でもできる技術」をそこそこに取得してくる具合になります。
すると、各分野のど真ん中では戦えず(もっとすごい人がたくさんいる)必然的に「その分野の誰もできない、しかし価値発揮できること」が僕のホームグラウンドになります。

じゃあどこにホームグラウンドがあるのか?
「枯れた技術の水平思考」
を通じて探すことになるのです。ゆえに一つ目の座右の銘がこちら。

2個目「負けない戦い方をする」

この言葉がどこで拾ったものなのか思い出せず、野球の野村監督の「負けに不思議の負けなし」は割と近いニュアンスだと思うんですが、野球に全然興味がない(知ってる野球選手は「イチロー」と「大谷(下の名前知らない)」と「ベーブ•ルース」だけ)のでたまたま近いか、飲み屋で聞いたかだと思います。
(これじゃね?があれば知りたい)

1個目の「枯れた技術の水平思考」でも書いたように、僕の個性と「その分野のど真ん中で戦う」は相性がよくありません。そもそもガチンコで正面から戦うのは好きじゃない。

戦うなら、始まった時にある程度「勝てる」算段がほしい、タイプです。なので何らかで勝負する時は基本的に「負けない」戦い方を模索します。
例えばイベントなら「開催できた時点で一定の成果と言える状態」を作ります。具体的には「初開催のテーマ」とか「◯◯とコラボ開催」とか、とか。
仮に参加者がほぼいなくても「その企画を実現できた事実」だけで成果と言える企画を考えます。

この戦い方のいいところは「負けない」ので、やればやるだけ実績が貯まります。この貯まった実績を使って次はより大きなことをする。
また、「負けない」は「勝てない」とは違います。たまに「勝てる」のです。しかもその勝ちは「負けても得られる成果」に上乗せして得られる。ローリスク•ハイリターンの戦いになります。

一方で、このスタイルは「圧倒的な大勝ち」は起こりづらい。それはそうとて「コテンパンな敗北」も起こりにくいので「生き残る」という意味においては性に合っていると思うのです。

3個目「死守せよ、そして軽やかに手放せ」

これは演劇界の人物ピーター・ブルックの言葉です。
とはいえ、原著も当たってないし本人にも合ったことがないので、又聞きを自分なりに解釈している俄野郎の引用です。

意味はこんな風に解釈してます(元の意図と違うかも)

徹底的にこだわれ、
だが、最後にはそのこだわりを捨てろ
→そうしたら、こだわりの向こうに辿り着ける

武道の「守破離」とも近いかも(これも中学校の剣道部の顧問がソースなので怪しいけど)。こだわりってのはやっかいな調味料みたいなもんで、ないとうまくいかないけどありすぎてもうまくいかない。
企画物をやる時はどこかでその企画へのこだわりを「手放す」必要があると思ってます。手放す、というのは放置するのではなく、適度な距離を取る、というニュアンス。

ある時点からは信頼できる人に任せて口を出さないことや、ある時以降は起こったことを楽しみながら自分で壊していくことです。
あんまりやると怒られたりするんですが、経験的に「こだわりすぎる」と良くない企画になるんです。2個目の「負け」も「こだわりすぎた」が原因だったり、こだわるあまり「水平思考」ができなくなったりします。

でも、企画の初期は特にこだわりから生まれる「熱量」も大事。なのでこだわるところはこだわります。僕の場合、大抵どこかに「隠し味」を入れることとか。気づかれないけど、気づくと楽しいもの、ってあるといいですよね。

4個目「役割と状況と事件で物事は動く」

世の中にはなんか法則がある気がしていて、僕なりに人生の中で感じる世の中の法則がこれ。子供の頃、毎年夏に長野の子供キャンプ的なのに参加させてもらっている中で感じたのがたぶん最初。

きっかけの一つは、僕、別にイケメンでもモテる感じでもないんですが(どちらかというと対局に立ってると思ってる)ある年のキャンプのグループで唐突に「モテキャラ」になったことがあるんです。
我ながら不思議なことで、その年だけはそういう立ち振る舞いができた。いや、わざとやろうとしてもできないんですが。

もう一つのきっかけは、地元の小学校で「愉快な男子」だった奴が中学校に上がった途端に「空気読めない痛い奴」になったのをみたこと。
「あれ、こいつこんなキャラだっけ?」と。

この辺の経験から、どうやら人間の社会は「役割と状況」が大事らしい、と思うようになりました。役割とはその人の立ち位置。性格や見た目の影響も多少はあるけれど、どちらかというとその場の「状況」の影響が大きい。

状況とは、その場にどんな役割がいるのか?という相対的なもの。人のキャラとか立ち振る舞いってかなり相対的なものだと思うんです。

その場の状況にあわせて、その場の人の役割が決まっていく。役割の決定も優先順位があって、例えば大人だけの交流会にうちの子も連れていくと「子連れのお父さん」ポジションは割と確実にとれる。
逆に言えばそれ以外の役割にはなり難い。

こうして「役割」は「状況」に基づき半ば自動的に決まっていく。その上でその場に「事件」が起これば物事は動き出す。
ここで言う「事件」とは、各役割がその役割に基づいた反応をする出来事のこと。「お祭りをしたい!」という主張をしても事件は起こるし「明日までに納品だった!」でも事件は起こる。

この3つの要素の組み合わせで世の中は動いている、と僕は解釈しています。

さいごに

書いてみて、どれもまぁ大事にしていることではあるけれど、書きながら「とはいえ、徹底できてないよね?」というものも多々ありました。
いやはや、精進します。

あと、トップの画像はこの投稿の内容と一切関係ありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?