見出し画像

黒い波


1章 地震

グラッグラグラ、小刻みの揺れに気付いたその瞬間、グアーンと唸り上げて激しい揺れが襲って来た。テレビを観ていたわたしは、とっさに炬燵の中に逃げ込んだ。軋むやぐらの足に必死に掴まり、布団の隙間から崩れ落ちてくる家具に、ただ事ではない恐怖を感じた。ここにも身の安全はないとわたしは、長靴を抱え外に飛び出した。空全体広がった暗い灰色の中で、エネルギーが地上に放出されているように思われた。  

かって経験のない激しい地震に、死の恐怖を意識した。

「これは、自然に報復だろうか?。ここ数年起こる異常気象になにか大きな災害で、世界の終りは、迎えることになるのかもしれない。」と想像していたわたしは、激しい揺れに抗いながら、自分の思考を反復していた。

高ぶる神経が体を拘束し、その場に竦ませていた。ただ、時が早く過ぎ、この地震を終息させてくれることを念じた。

ようやく揺れが収まり、不安から解放れ玄関まで辿り着いた。入って見ると家具が散乱し、進む足を阻んでいた。壁は雷の道筋のようにひびが走り、一枚戸のガラスは砕け散っていた。崩壊されたその有様に、呆然と立ちすくんでしまった。 

「町民の皆さん!緊急事態です。大きな津波が押し寄せてきます。30分後に迫っています。今すぐ、家を離れ高台へ避難してください!」と、町の拡声器から悲痛な叫びが聞こえた。

いままでに何度か聞いた津波警報の予行演習の放送ではあったが、地震後の逼迫した津浪の警報に一瞬、現実と向き合えられなかった。それどころかわたしは、津浪と化した海の変貌を確かめようと、犬を連れて海岸に向かった。この場に及んで現実の認識が欠落していたのである。

2章:3年前 

わたしは定年退職を迎えると同時に、40年の夫婦生活に、ピリオドを打たれてしまった。淡々と離婚を承諾し一人の生活となった。長年の単身赴任の心の溝を回復出来ず、互いの存在の煩わしさが結果を生んでしまった。

老年期を迎えての独り暮らしは毎日は、寂しさと空しさでいたたまれなかった。

築き上げた有形を壊して、再度新たな環境を築こうと、描いていた余生の生き方を求め、見知らぬ地への「終の棲家」を建てること決心した。

しばらくして、意に叶った「海の見える高台の家」を建てることが出来た。自然と対峙した、自給自足の環境作りの毎日であった。

3年が経つ頃には、過剰な人間関係から解放され、精耕雨読の生活が馴染み、自分の生活スタイルが定着してきた。

海から上がる太陽を拝み、潮風の匂いを嗅ぎながら、ハマナスの群生を辿る散歩の穏やかな日々。時には荒波が運んだ昆布を、岩に這いつくばって採るスリリングさが、生きる満足感を与えた。光る海は神々しく、一瞬の崇高さが心を通り過ぎていく。

3章:津波

松林までくると耳を劈く音に驚き、松林の隙間から覗いた。すでに巨大な魔物と化した黒い波が、凄い勢いで迫っていた。

わたしは犬を小脇に抱え、全速力で高台の家へ走った。

黒い波は、家の前の5mの高さの石垣まで、襲いかかっていた。その光景は、波の黒さが空までも染めていた。黒い波は地上に存在するあらゆるものを、飲み込んでは破壊していた。防波堤を跨ぎ、松林をことごとくなぎ倒し、飲み込んだ家屋を反芻しては吐き出していった。

やがて黒い波は、石垣下をゴールとしたか、退去する姿勢を見せ引いて行った。

再び黒い波の襲来することはなかったが、泥水の海原には、家や家財道具、スクラップの車が瓦礫の山を作っていた。

4章:闇の中

灯りが失ったその夜は、深い暗闇に包まれた。海は穏やかさを取り戻し、いつもの波音を聞かせてはいたが、鋭くなった耳には不気味高く響いていた。

わたしは懐中電灯を照らしながら、周辺を見回った。津波の爪痕は暗闇に広がっていた。だが、暗黒の中ではその残骸が、存在する唯一の物として安堵感を与えた。

石垣の下から、人の気配とうめき声が聞こえた。灯りを照らすと、そこにはエビのように体を曲げた女性が倒れていた。この辺では見かけない顔であった。「大丈夫ですか?」私の声掛けに返事はなく、うめき声は波の音に嵌まりながら続いていた。おそらく、女性の体は全身が打撲し、複数に骨折していると思われた。あの黒い波に押し流されてここまで来たのであろう。

わたしは家に戻り、持ってきた毛布を女性の体に掛けた。今朝までは春の到来の気配を感じたのに、この夜は容赦のない寒さが戻っていた。

わたしは女性に「明日になったら、どうにか連絡とって、助けに来てもらうから!」と言い残してその場を去った。

5章:夜明け 

朝、女性を見に行くとすでに死んでいた。女性の死は確認するまでもなく、ひと目で分かった。昨夜わたしは、瀕死の女性を為すすべもなく放置して去ってしまった。

孤島に変わってしまったこの場所で、「女性は死んでしまった」という結末に、自責の念も感傷も湧かなかった。ただ、死の「間際に立ち会えた」ことへの敬虔であった。洗浄された乾いた感情が動いた。

遭遇した災難の前では、「個人への感情」は超越し、対局的なものの考え方になれるものかもしれない。

この時の感情の動きに類似性を持った出来事が後にも表れた。

友人が津波に巻き込まれて亡くなった報を聞いた時であった。大勢の悲報の中でもあったが、悲しむ気持ちや涙すら出なかった。今こうしている自分の存在に、大きな意志がふつふつと込み上げてくる。この現実を過去に封じ込め、共同体の強い意識が働き始めるのであった。

6章:救助

津波から一夜明け外を歩くと、ひとり、ふたりが姿を見せてきた。その二人はわたし同様、高台住人であったため、津浪逃れることができたのだ。一人の超高齢の女性は地震、津波にも心動揺することもなく、じっと家中に居たという。こうしていても笑顔さえ見せていた。

3人はこの老女の家で、救助を待つこととした。わたしたち3人は、一部屋の瓦礫を片づけ、当時を語りながら夜を迎えた。

懐中電灯の灯りの中、持ち寄った即席麺で食を凌いだ。この時ばかりは即席麺の美味さが有りがたかった。男二人は老女を真ん中に布団を敷いた。小さい頃、母親の脇で寝た頃と、高齢とはいえ、女性を挟んで寝る妙な感覚が入り混じって複雑な思いで眠りに就いた。

翌朝、頭上から拡声器の声が響いた。「こちら、自衛隊の救助隊のヘリコプターです!みなさん!ご無事でしょうか?。これから着陸して救助します。上の空地に着陸しますので、荷物を持って出て来てください!。」と放送された。

ヘリコプターの中から眺める町は、瓦礫の茶色の海原が変わらず見せていた。

わたしたちは、海の豊かな生物を無条件にいただき、それを生業として来た。

ある日、そのもの言わぬ自然界の反乱が起き、海は地震の産物を生み、津波となりわたしたちは制裁を受けた。

文化の発展は、豊か生活を限りなく提供してくれるが、その一方自然界の秩序を乱し破壊していく。そして、人間誰でもが潜在に持っている叡智を、埋没させてしまっているのでは?。

あの黒い波の中に潜む闇が何なのであろうかと・・・。


いいなと思ったら応援しよう!

藤田  凛
読んでいただきまして幸せです。ありがとうございます。

この記事が参加している募集