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野比ふじ太

これは僕が小学生の頃、転校した先の学校で呼ばれていたあだ名。どうしようもない落ちこぼれで、弱虫で、意思が弱く、いつも寝ててメガネで、顔も大して良くない。おまけになんでも後回しにする。唯一違ってたことといえばテレビゲームをやってたことくらい。そんなどうしようもない僕も、今では大学4年生。就活も全然上手くいってないし原作ののび太くんと何も変わらない。でも一つだけ違うことがある。写真やデザインでちょこちょことお仕事をいただけているということだ。

こんなのび太くんをボロクソに書いているが実は彼を尊敬している。彼のやさしい気持ちやマイペースな生き方が僕の至る所にひっかかるのだ。

僕も昔からこんな調子で、僕はこの世に1人なんだ!なんて言って闊歩していたのを覚えているなぁ。なんか怒られてもこんなだったのでさっぱり反省していなかったと思う。

サッカーボールが当たって人の家の植木を壊しちゃったとき、友達にドラえもんと同じこと言われたなぁと思って。幸い優しい人だったから謝ったら許して貰えたけど、世の中そんなことばかりじゃない。金で解決できるならした方が円満というのが世の中の摂理なのかなと考えさせられた。

実際クラスの優等生は僕に優しかったけど僕はバカにされてるみたいでちっとも嬉しくなかった。そんな心情がモロ描かれていた。頭がいいと誰にでも優しいのか、それとも育ちがいいのか。それにしてもこんなふうに女の子に囲まれてキザなこと言ってみたいなぁなんて小学校の頃そんなこと考えてたな。のんびりしていたいとはいいつつもどんどん先に行く優等生に劣等感を持っていたのは間違いない。

僕のモチベーションはこれになっている。悔しいと思ってもいつも深呼吸してリセットしてしまう。


僕は毎日10時間以上寝ている。それが幸せだったりする。それだけ安心できる環境に身を置いているということだと思うんだ。僕はそんな哲学で眠っている。コンセプトとしては立派でしょ?

これは僕にない考え方だったが、言われてみれば…という感じだ。でも今僕はもがいているけど応援してくれる友達や相談してくれる友達に囲まれて本当に幸せだ。のび太くんが本当の友達を教えてくれた気がする。

時々こうなるけど、今こういう状態なのは過去の自分や周りの人達がどう思ったからなのかしっかり考える必要があるということものび太くんは言っている。本当に人間力というかそういう所で尊敬できる。

のび太くんはADHDなのではないかということが一般に言われている。でもそんなことはお構い無しに人間力を兼ね備えて人にやさしく誰かのために身体を張れるそんな彼のような人間になれるよう僕も頑張らなきゃと思うのです。ADHDを理解してというのではなく理解されないのは当たり前なのでそれなりの生き方を見つけることが僕達ADHD罹患者に必要なことなのではないだろうか。そんなことまでのび太は教えてくれる。

人生困ったらのび太に頼ろう。

この本は一昨年、富山県高岡市、藤子・F・不二雄先生の生まれ育った街にわざわざ出向いて買ってきた。どこでも買えるけど高岡で買うことで藤子先生の思い出や考えを記した手紙を直接受け取れるような気がした。本にはそんな不思議な力があると思う。

自分はドラえもんの漫画は藤子先生からのメッセージだと思い読んでいただけに余計に染みてしまう。

この本はのび太とドラえもんの名言を集めたい普通の名言集なのだが、僕にとっては違う。のび太が自分そっくりで原作漫画は涙と共感無しに読めない。この本ではのび太が僕の考えを代弁してくれているようで考えを整理する時必ず読んでいる。

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