無関心が一番悪、そんな偽善な。
割とよく聞く言葉じゃないかと思う「無関心が一番悪」というセリフ。僕はこの言葉がとても苦手で、世の中に対し疲れを感じる原因の1つになっている。
無関心ってそんなにいけないことかな。なんか同情を強要されているみたいで僕は共感ロボットじゃないという気持ちが瞬時に湧いてくる。
中学生の僕は日常生活で何かハラスメントにならないか、自分が加害者にならないか、誰かの地雷を踏まないかとても気にしていた。そんなこと考えていたら人が信用出来なくなり途端に人が物に見え一切感情移入できなくなっていた。しかしある時"他人の生きやすさのために自分が生きにくくなる理由はないし、僕は自由な1人の人間なんだ"と思った時、据から解放されて無敵になった気がした。無関心が自分にとって無駄なことで悩まないための1つの手段であるとするなら、正しい選択であると感じた瞬間だった。
無関心が悪ということに関して多くは「いじめ」の場面でよく言われていると思う。これに関して教育現場で都合のいい教育の一環であると思い、教師の立場を踏まえた上で偽善にも感じる。同じクラスのひとつのグループが○○をいじめていることに一々関心を持てるほど視野も広くないし、知らなかったなんてことはよくあるだろう。それを1つの罪人として扱う思想には理不尽さを感じる。
フェミニズムもジェンダーも、性別に関して無関心であることが最適解とわかっているのにわざわざ際立つ行動をして一体何を目指しているのか分からない。何故か賛同していると思われているがそれは違うし、勝手に同士だと思い込むその行為がいい迷惑。別に僕はそんな意見に賛同している訳では無いし、単純に性に関して無関心なだけ。性別的色眼鏡で世の中を見ていないだけ。身体的性別に基づいた制度を批判するつもりもないし、そんなこと考えるだけ無駄だとさえ思っている。当事者の辛さがあることは分かるが、万人が暮らしやすい国の為に法律が存在している訳ではないだろう。
とにかく、みんな"関心を向けて欲しい"とばかり言っていてちっとも本質を考えていないと思う。自己責任で片付けるのは違うと思うけど、辛さを分かち合うことよりもどうやって解決していくか考えた方が気持ちも楽だと思うけどな。
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