価値観を上書きするのは難しい
オリンピックが意外な方向から揺らいでいる。
いや、意外じゃないのかもしれない。内包している昭和な価値観で運営しようとするところに問題が生じているのは、単に、森会長の女性蔑視発言ばかりではないだろう。
昭和な価値観とかいたけれど、そんなものが厳然とあるわけではなく、なんとなく、今回、森さんが示した「体育会的、男性仲間内的、上から目線的」な「当たり前だろう」と言いたげな「おじさん目線」の物言いや、その背後にあるだろう価値観を総合して、「昭和だな」と思っただけだ。
そこにある「当たり前」はすでに「当たり前」ではなく、物事を判断する前提として「古い」とされるものだった。
その自分が持っている価値観の古さに気づかず、自分が当たり前だと思う通りに物事が動かないとイラついたり、キレたりするのが「老害」と言われる存在なのであって、それは、年齢の問題ではないということも散々言われていることだ。
では、森さんが思っていた「当たり前」はどこに行ったのだろう。
それは、やはり「昭和も遠くなりにけり」という感慨の中に消えていったのではないだろうか。
草田男が、明治精神として挙げた「恥を知れ」に相当する、昭和精神とは何かあるのでしょうか。
そこにあるのは「高度成長期を支えた中流階級の時代」であり、縦割りと上下関係と年功序列を骨組みにして、滅私奉公による「モーレツ」社員が世を切り拓いた時代の名残。
令和になって、いろんな昭和的なものが崩れていくような気がする。それがコロナ禍で加速し、そのずれが地割れのように明らかになって、いろんなところで口を開けている。
でも、気が付かない人もいるし、元に戻ると思っている人もいる。
その方が怖い。
ずれていることに気がつかないのは、価値観を上書きするのは難しいからだと思う。
価値観をアップデートするというとかっこよさげだけど、それは、元からあるものを生かして、作り替えるということでしかなく、そのために、日々、新たなものに触れ、少しづつ直していく地道な作業をしている真面目なおじさんもいるんだろう。
でも、今必要なのは、そんな細かなアップデートではなく、全く新しい価値観を今ある物を全て押し込めてでもとりいれる「上書き」なんじゃないだろうか。
すり合わせたり、部分的に取り入れたり、自分が納得できるものだけ、というような選択をしてアップデートするのではなく、もう全てまるっと受け入れて「上書き」する。自分のこれまでは消してしまう。
それくらいの変化に直面しているし、おじさんは、アップデートくらいでは間に合わないと思った方がいい。
でも、上書きは大変だ。
元のファイルが残っていないんだから。
だから、難しい。そうした方が良いと思っても、そうするのは怖い。
だから、おじさんは見ないふりや気づかないふりをして、そのうち、本当に気がつかなくなってしまう。
何が間違っているか分からないのに、間違っていると言われるくらい怖いものはない。どうしたらいいのか分からない。
森さんは、今そんな気持ちなのではないか。
まあ、森さんほどではなくても、会社で部下の女性たちから突き上げを食らって、何が悪いのか分からないまま、メンタルをやられる中間管理職おじさんもいるだろう(そりゃ私のことだ)。
私は、結局、上書きすることにした。
今まで自分が正しいと思っていた仕事のやり方や、周囲との付き合い方、取り組み方を捨てて、妻の言葉に耳を傾け、周囲の女性たちの話をきき、会社も変えて、仕事も変えた。
それくらいしないと上書きはできない。
それで私が老害にならずに、周りに疎まれないおじさんになれたかどうかは分からないけどね。
サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。