小三治師匠の「小言」が楽しい
昨年10月に亡くなった柳家小三治師匠と書くと、お前の師匠じゃねえ、と怒られそうですが、人間国宝となった落語家でした。
この方については、一度だけ高座を見たことがあります。
3年半ほど前ですから、もう晩年でしたが、独特の面白さがありました。
剛直な人なんだな、こだわりの強い人なんだな、と言うのが顔にも出てますが、芸にも出てます。笑わせようと思ってないぞ、と言う顔です。
先のWikipediaにあるような感じです。
面白くもなんともなさそうな顔のまま、面白いことを話す。飄々とした表情のまま、ぶっきら棒にしゃべる。
柳家の伝統通り滑稽噺を主なレパートリーとするが、師と同じく、「あざとい形では笑わせない芸」を目標としている。落語(滑稽噺)は本来が面白いものなのできちんとやれば笑うはずであり、本来の芸とは無理に笑わせるものではなく「客が思わず笑ってしまうもの」だとの信念を抱いているからである。
師匠の先代柳家小さんは狸の置物みたいな人で、見てるだけでこっちが笑っちゃうような人でしたが、小三治さんは、仏頂面の小言幸兵衛の置物のような構えです。
そんな人柄が出ている本を最近読んでいます。
若い落語家に向けたものだと銘打っていて「紅顔の噺家諸君」と言う題で書かれた連載を中心にしています。その多くは、若手への小言です。
でも、それが楽しい。うなづける。膝を叩く。読んでいる自分がそんな歳になったからかもしれません。
昔は、小三治師匠といえば「まくら」が話題でした。
多芸で多趣味な方なので、そうした話が落語本体よりも面白いと話題になったと言うのは、本人にとって面白くはなかったかもしれませんが、それもまた一つの流儀だよと思っていたのかもしれません。
私が落語に興味を持ったのは、考えてみると小学校の時に柳家つばめという人が亡くなった時の何か文章を読んだ時でした。新作落語の人で、偶然、そのネタを読んで面白かったのを覚えています。
その後、落語に関しては立川談志という人に傾倒するのですが、それ以前に、そういえば、柳家つばめだったと思い出したのは、小三治さんの「落語家論」の中に「柳家つばめ」の名前を見たからでした。
この柳家つばめは、小三治さんと同年代の方で、私が小学生の時に読んだ方の後の代になります。
つまり別人なのですが、名前というのは不思議な力を持っているものです。
名前といえば、小三治さんは師匠の小さんという名前を継ぎませんでした。多くの人が、小さんが亡くなった時に、小三治が継ぐと思っていたのは、小三治という名前から小さんになった人が多かったからで、海老蔵が團十郎になるようなものだと思っていたからなのでしょう。
でも、本人は一生小三治でやると思っていたそうで、結局、小さんという名は先代の息子だった三語楼さんが継いだわけですね。
その辺りも剛直なところが表れているような気がします。
詳しいことはこういう専門家の話でも読んでください。
何にしても、小三治さんの小言は読んでいて楽しい。
それは、私が、そういう歳になったからなのかもしれない。
そんなところです。