街の記憶は懐かしくも疎ましい
ああ、そうだなあ、と思って読んだ。
私は若い頃は、しょっちゅう引越しをしていた。更新が近づくとそわそわして、次の物件を探すタイプだった。
大学時代に寮を出て、桜村のアパートに1年、中野に2年、梅島で1年半、西荻窪で3年、東中野に2ヶ月、代々木上原に2年、元代々木に1年半。
結婚して、三軒茶屋に3年半、世田谷の鶴巻に3年半。そして新宿に越して19年。
中野にも東中野にも西荻窪にも代々木上原にも、住んだことがある街には、その時の記憶が残っている気がする。行けば、一人で悶々と過ごしていたあの頃を思い出すから、なんとなくその街に行きたくない気持ちにもなる。
ところが実際に行ってみると、その頃住んでいたアパートがとっくに無くなっていたりする。そうすると、あの部屋にたどり着く方法は頭の中だけになってしまい、ちょっとした混乱を起こす。あの角を曲がって、何軒目にあれがあったから、あら、その目印も無い、みたいな。
迷子になったような、パラレルワールドに来たような。自分だけいない街、みたいな。
中野も梅島も西荻窪も東中野も代々木上原も元代々木も、実は、そんな街になってしまった。どこも安普請のアパートだったから再開発されている。
三軒茶屋と鶴巻は、分譲マンションの賃貸用だったから、まだ残っている。でも、向かいにあったモスバーガーが無くなっていたり、よく行った蕎麦屋が無くなっていたりと、これもまた街に記憶が残っていなかったりする。
そうすると、不思議なことに、あれは本当にあったことなのか、自分の妄想なのか、夢の中の出来事だったのか、自信がなくなってくる。
結婚してからの街は、とりあえず妻に確認すれば、だいたい同じような記憶があって、強化できるのだけど、独り身だった頃の街、特に、妻と付き合う前に住んでいた街の記憶は、もはやあやふやになっている。
あの頃に帰りたいとは思わないけれど、あの頃があって良かったなとは思う。その程度には懐かしく、疎ましい記憶。
それがあるのは、人生にとって、ちょっと良いことだと私も思う。