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大阪都構想は廃案だけど、それで終わりじゃないだろう

大阪都構想の住民投票が終わり、大阪市廃止に反対が多数を占めました。

大阪都構想は終わったけれど

大阪都構想については、賛成反対よりも、よくわからないというところから始めて、色々調べてみました。

そこで感じたのは、「大阪都」という名前を欲するような大阪の停滞でした。

大阪市が解体されようが、そのままだろうが、東京からはどっちでもいいのですが、横浜市や名古屋市のように、大阪市自体から、そんなら府から独立や、という声があがらないことが、結局、大阪の停滞なんと違うのん、という気もしております。

でも、廃案で全てを終わりにするでいいのでしょうか?

東京都には、大阪のような問題はないの?

実は、大阪都構想の発端になった大阪の「府市合わせ」問題は、東京や横浜にとっても他山の石かもしれない、考えるに足る問題ではないのかというのが、今回の思いつきなのです。

東京における東京府と東京市の合体は、戦争のうやむやでできたものですし、戦後、そのまま特に元に戻す議論もなく特別区は35区から22区(のちに練馬区が分離され23区)に再編され、特別区と言いながらも区の間の格差(人口格差、収入格差など)を解消する流れはありません。

2000年(平成12年)に施行された地方自治法改正により、都区制度改革は大きな進展をみせることとなりました。
具体的な改正点は、
①特別区を「基礎的な地方公共団体」の位置づけ(条文で明確化)
②特別区の自主性・自立性の強化(内部団体的な特例の廃止)
③事務の移譲(清掃事業、教育委員会の事務、保健所設置市の都留保事務など)

ということで、東京都の特別区も2000年になってようやくある程度の自治が進んだといえます。

こうした東京都の特別区に起きている問題をきちんと分析し、それを生かした立て付けで大阪の特別区をつくることをはっきり説明できていれば、大阪市を廃止して特別区になった方が良かったかもという意見も、もう少しあったかもしれませんが、結局、維新の会の説明がよくわからなかったというか、説明してないというか、できないというか、なんだかわからないままだったのが失敗だった気がします。

大阪都構想は本当に悪手だったのか

大阪都構想が反対派がいうほど問題だったのかはわかりません。

その内容は、良し悪しがあいまったものだったと思います。でも、それを推進した維新の会のやり方、やり口は、悪手だったように見えます。特に、最後に数字を出した役人を罵倒した松井市長の姿は、言っていることの中身の異常さ以上に、見る人を不快にさせるものでした。

市の担当者が一度出したものを「捏造」というのは間違っています。

元にしたデータが架空のものであることから、捏造としたのでしょうが、間違ったシミュレーションに基づく、誤報というべきでしょう。

シミュレーションの元になるデータが正確でない場合には、捏造とは言いません。事実に基づいたものではなく、あくまで仮定の状況に基づくことを説明しているからです。結果だけをみて意に沿わない結果であることを「事実と違う」というのは無理があります。だって、事実なんてないわけですから。

前提が異なれば結果が異なるのはシミュレーションなので当然です。それを色をなして叱責するのが市長のあり方でしょうか? データを出せと迫ったマスコミを牽制するのはいいですが、職員は庇ってやればいいのにと思います。

もともとシミュレーションは色々あったわけですし、どれも一長一短あるわけですしね。

府・市の試算は、市が全株式を保有する大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)からの配当金などを見込んでいる。25年度に53億円、26年度以降は71億円とし、コロナ禍の影響は織り込んでいない。
松井市長は「減収するのは間違いない、このコロナの状況で。都構想に向けての財シュミについては(財政シミュレーション)、現状の財シュミで説明していきたい。第一、11月までに詳しくそこまで出ません」と話しました。市が公表したいわゆる「大阪都構想」の制度移行後の「財政の見通し」は、今年3月の当初予算を前提に作られたものですが、松井市長は住民投票前に修正を加える予定はない、としました。

こういう態度が、市民の反対を受けたのだということを維新の会は、よう分析したらよろしいんと違いますのん。知らんけど。

大阪都構想に学ぶべき点がある首都圏自治体

首都圏の地方自治体にも、大阪の問題提起を学ぶ点があるのではないかという気がしています。

そんな折、松本・和光市長がこんなブログを書いていました。

いわゆる「都構想」住民投票否決を踏まえ、以前、都道府県再編の必要性について「自治日報」に寄稿した拙稿を一部改変したものです。数値は基本的に平成27年執筆時のものをそのまま使用しています。

詳しくは読んでいただきたいのですが、いわゆる道州制の議論があり、自治体再編を伴う平成の大合併があり、大きな流れとして、地方分権とともに、日本の地方自治を今よりも大きなサイズで運営する広域自治にシフトしようという意見があります。

その解決策が道州制であるかどうかは措くとして、首都圏という政治的にも経済的にも巨大な地域を一体的かつ効率的に網羅し、公平性を担保しながら適切な資源配分を行う関東州、関東都のような広域自治体を発足させ、効果的な施策を実施することによる経済効果はいわゆる「大阪都構想」の比ではない。そして、同様の状況は中京圏や関西圏、さらにはその他の地域でも存在することは想像に難くない。

大阪都構想は、現在の大阪市の区を再編し、広域自治を検討しうる枠組みを提示するという意味では、画期的なものであったのかもしれません。

いきなり、大阪市を廃止し、特別区にしてしまうという過激な意見だから廃案になりましたが、大阪市の区を再編し、少し大きな区にして効率化を図るとか、大阪市と堺市など周辺各市をさらに取り込んで、大大阪市にして、区を再編するとか、さらに大阪府を廃止して、府下の自治体が合併して全部大阪市になってしまうとか、提案レベルは色々あったのではないでしょうか。

大阪府と大阪市の二重行政の解消という問題提起は間違っていないので、その実現方法については、まだ検討の余地があるのではないかと思うわけです。

そして、大阪府を超えて、大阪市と兵庫県の阪神間などの湾岸部の広域自治の問題まで検討する新しい提言ができれば、地方自治の新たなフェイズが見えてくるようにも思うのです。

同様に、川崎・横浜・相模原と神奈川県、千葉市と千葉県、さいたま市と埼玉県の間の二重行政の問題、地勢的にも歴史的にも線引きに無理のある、東京都と朝霞地区四市、町田市と相模原市など、解消すべき境界線問題を包含する広域行政のあり方も、大阪都構想を契機に議論されれば良いのにと思います。

また、震災復興でも県や自治体の境界で防潮堤がつながらなかったり、高さが違ったりしてはいないでしょうか。

県では、震災からの迅速な復旧・復興にあたりましたが、その中には地方の力ではどうにもならない問題(災害廃棄物・原発問題など)があり、国の対応の遅さが指摘されていました。
 これは、国の怠慢というよりも、国が平時から過大な権限・財源を持っているため、負担が過大であり、大規模災害が発生した場合に、機敏な対応ができないことがその背景にある要因の一つではないかと考えられます。地方が内政を担い、国の負担を減らす仕組みが必要です。  
 東日本大震災から得られた教訓からも、国・地方の役割分担を抜本的に見直し、「新しい国のかたち」として、地方分権型道州制の導入が必要だと考えています。

津波もコロナウイルスも自治体の境目を考慮してはくれません。

コロナウイルスで明らかにされた自治体間の不一致

都道府県によるコロナ対策の違いや、国による線引きは現地の肌感を反映しているとはいえません。

住民の不満を解決するには、どういう自治体であることが良いのか。

それが、大阪都構想という問題提起の一つの意義ではなかったでしょうか。

大阪は、吉村知事と松井市長がタッグを組んで(というよりは。松井市長が吉村知事に丸投げに見えますが)対応したことで、一時期は大阪方式というようなコロナ対策もありました。結果は芳しいとはいえませんが、それはまた別の話で、神奈川県と横浜市や、千葉県と千葉市よりはチグハグにならずに済んだはずです。同じ維新の会だからね。

でも、それは政党や政治理念の問題を超えて、地域住民のために最善なのは何かを考えれば、どこでも対応できるものではないのでしょうか。そういう仕組みにしたらいいんじゃないでしょうか。

それが、これから任期まで務めるという松井市長と吉村知事に課せられた使命ではないかと思うのです。

Facebookで、こんなことを書いておきました。

大阪都構想が反対多数だったそうで、大阪市は存続です。ただ、これでよかったでおわるのではなく、いわゆる「府市合わせ」の解消に向かわなければ、この提起の意味はないのではないでしょうか。松井市長と吉村知事は、後3年近くやるのならば、構造的に二重行政が起きない仕組みを協議していただきたいと思います。それでこそ、大阪維新ではないかいな。知らんけど。

維新の会がきちんとした政治理念に基づいた政党ならば、今後のお二人の活動は、日本に画期を起こし、大阪に活気を与えるものにならなければ、いけないと思いますが、どうなんでしょう?

やる気あるんですよね?

サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。