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自己紹介に代えて

その日、夕方から降り出した雪はますます強さを増しつつあった。臨月を迎えていた妻は、一旦帰ったのにやはり会社の新年会に出かけるという夫に「予感がするから家にいて」と訴えたが、予定日は月末であることを理由に、夫は雪の中を出かけていった。

確かに、まだ松も開けぬ正月4日ではあったけれど、なんだか胸騒ぎがした妻の予感は正しかった。


夫が夜半に帰ってきたとき、妻は陣痛の真っ最中だった。一気に現実が襲ってきた夫は酔いも醒めて、ちょっとしたパニックになった。「間に合わないから家にいて」という妻の声から逃げるように夫は「とにかく産婆さんを呼びに行く」と雪の夜の中に飛び出していった。車を持っていないのでタクシーを拾おうにも大雪である。車など走っていない。傘など役に立たない北国の雪の夜である。マフラーで頬被りをして夫は産婆の家に走り出した。

言い出すと聴かない夫の性格を知っている妻は、陣痛に唸りつつも「やっぱり行ったか」とどこか醒めた思いで見送っていた。役に立たないのはわかっているが手の一つも握ってくれれば良いのに。とにかく生まれそうだから、お湯は沸かしておかないといけないかしら。へその緒を切るのは裁ちばさみでいいかしら。お産婆さんは間に合わないだろうし。そんなことをどこかで冷静に考えている自分に、ちょっと可笑しくもなった。痛いのにねえ。


これが、私が生まれた1962年1月5日の朝4時の直前の両親の状況だったと母から聞いたのは、高校2年生の時でした。大雪の日に、母が一人で産んでへその緒も自分で処置したという壮絶な話でした。

だからと言って、そんな母に対して特に親孝行なわけでもなく、まあ、他人に頼らず自分で生きていくのだなあ、と思いつつ、今に至るわけです。

母の問わず語りの話を1週間ほど聞く羽目になったのは、ちょっとした理由があるのですが、それは書かないでおきます。

自己紹介よりも母の人生の方が面白いので、どこかで書いていこうかしらん。

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