日韓関係は令和だけ見てもわからないから平成を飛ばして昭和から考えてみる
このところの日韓関係の泥沼化を考えるには、今起きていることだけをみていては行き詰まる。どっちが悪いという話に終始するだけで、発展がない。
でも、これって両国の昭和からの政治家の流れを比較すると色々見えてくるんじゃなかろうか。
平成はどこ行ったのか、という話だけど、その30年は日本の経済成長の停滞とともに、日本の政治家の成長も止まっていた時代だったような気がする。政権交代があったり、いろいろあったけど、結果として、55年体制から社会党というブレーキが無くなったダンプカー自民党の暴走というか、55年体制以前の自民党のDNAを背負う安倍総理時代というか。
まず前提として韓国の状況について考えるには、何故、文政権が登場したのか、ということを知らなければいけない。
何故ならば、歴史の流れの中で見ると、国民が必要だと思うことで政権が生まれるし、それが極端なのが韓国だから。
日本に生まれた私たちは、幕府が変わろうと政府が変わろうと日本は日本だと思ってしまう。でもそれは世界ではとても珍しいことなのだよね。
どの国でも、支配者が変われば主義主張が変わり、まるで別の国になることが普通で、それを東洋では「革命」という。
漢語の「革命」の語源は、天命が改まるという意味である(「命(天命)を革(あらた)める」)。古代中国では易姓革命など東洋での王朝交代一般を指す言葉であった。
で、この記事にあるように、文政権は「革命政府」らしい。
李承晩による独立から朴正煕による軍事クーデターを経て、全斗煥、盧泰愚と軍人政権が続き、金泳三、金大中、盧武鉉と民主化が進み、サッカーの日韓W杯で日本と韓国は大きく近づいた。李明博、朴槿恵と保守政権が経済破綻後の国内をまとめるために日本への態度を変え、朴槿恵の弾劾後に、盧武鉉の側近だった人権派弁護士出身の文在寅が登場する。
こうした流れの中で、文在寅が、朴槿恵の父親である朴正煕政権下で締結された1965年の日韓合意をどう見るのかといえば、同じ国のことと見たくはない、余計に守りたくないという立場を取る意味が見えてくる。
つまり、韓国は、日本人や日本政府が描いてきた姿ではなくなっている(少なくても政治経済レベルでは)ということを前提に政策を進めないといけないところを、どうも日本政府(政治家、官僚共)は何かを間違ったのではないかと感じる。
日本人の発想と韓国人の発想の相違を踏まえて議論に持ち込むという外交の基本というか人付き合いの基本を双方ともに忘れているような昨今。
問題の一端は、韓国が変わっていることに日本が対応できてないことなのではないか。確かに国家の連続性において、国家間合意を抜きにしてありえない、と言う議論は真っ当であるけど、それまでの延長にあることにこだわりすぎてはいないか。それって、日本の官僚にとっては普通かもしれないけど、今の国際政治の現場には、言うことがころっと変わる人ばかり出てきているんだし。それを、前の政権が言ったこととと違うと言う指摘をしても勝てない気がする。
一方で、日本政府も、日韓合意を結んだ1965年とはだいぶ変わってしまっている。1993年に生まれた細川連立政権から第2次安倍政権成立の2012年までの20年は、まさに平成における日本政治史の転換期だったと言える。その中で、自民党と社会党が支える55年体制の崩壊と自民党以外の政権政党の脆弱さを露呈させた東日本大震災を経験した日本人が、今の安倍政権の長期安定を生んだのだと考えるしかないのだと思う。
しかし、安倍総理の思考のベースは、リベラルなお父さん(安倍晋太郎)ではなく、カッコイイおじいさん(岸信介)が作った世界なのだから、彼から見ると、韓国はいまだに1965年の日韓合意の頃の姿なのかもしれない。
そういう時代錯誤感と自虐史観への反発が韓国を見る目を曇らせているのではないか。
つまり、平成の長い停滞を経て、私たちが今見ているのは、遠くなった昭和の幻影を引きずる日本と、昭和を忘れ(まあ韓国には昭和という元号は関係ないけど)第二次世界大戦も歴史的事実として都合よく解釈し、朝鮮戦争後の混乱も拭い去って、大国への道を歩もうとしている新しい朝鮮国家の戦いなのかもしれない。
少なくても、私たちが知っている韓国だと思うのはやめて、新しい半島国家として文政権と対峙しないと、日本の国際的な地位が危うくなるように思えて仕方がない。日本国家のというか、官僚と政治家の劣化は、私たちの想像を超えているから。
そこを考えるには、細川政権を産んだ人が書いた、このあたりの本を読まないといけないかなと感じている。
サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。