読めないでいる本、会えないでいる人
コロナ禍の中で、自宅にいる時間が増え、本を読む機会が多くなったという方もたくさんいるのではないかと思います。
読書と感想がもたらすもの
私はといえば、加齢による目の不調が進み(早い話が老眼ですね)、本を読むのが億劫になってしまって以来、読書が進んでいません。
そんな中でも、読んだ本については、noteに書いたりしてきました。
なぜ書くかと言えば、書くことで漠然とした感想をまとめることになるし、時には、筆者からリターンがあったりするからです。
この記事については、嬉しいことに、筆者からTwitterでリターンがありました。
これがSNS時代の面白いところだと思います。
こうしたリターンが励みになって、また書こうという気にもなりますし、筆者との距離が近づいた気がして、その方へのシンパシーが上がるというものです。
筆者も、こうして直接、読者の声を拾うことでマーケティングにつながっていくという時代になるわけですね。
読めないでいる本は読んでおけ
さて、そんな中で、さらに本を読んで感想をアップするかと言えば、なかなかそうもいかず、しかも、何度もチャレンジしては読めずにいる本があるのです。
もともと、積読が多いんですが、最近は、それも嫌気がさして買うのを躊躇う始末。
その中で、随分前に買ったのですが、何度もトライしては、読めずにいるのが、この本です。
名門の天才坊やとして注目された歌舞伎界のサラブレッド、勘三郎。渋い脇役の家に重い期待を背負って生まれた三津五郎。二人の名役者は、奇しくも同学年に生まれた。生前親交の深かった劇評家が描き出す、宿命の星の下に生まれた二人の物語。
言わずと知れた、同級生の二人、勘三郎と三津五郎のことを書いた本です。
私は歌舞伎役者の中でも、最も好きだったのが勘三郎で、浅草の中村座で勘三郎の復帰公演をみたのが自慢です。
三津五郎は、とにかく踊りが綺麗だったのが印象的で、この二人が、コクーン歌舞伎など、多くの歌舞伎の新機軸を作ったのを眺めてきました。
二人共に、勘九郎、八十助という襲名前の名前の方が有名かもしれません。
この二人のことを書いた本なので、目にした途端に買ったのですが、読めずにいるのです。
それは、もう、この二人の至芸に触れることが出来ないという悲しみを突きつけられるから。
会えずにいる人には会っておけ
でも、コロナ下で、会えずにいる人が多くなり、悲しみを感じる前に、やはり、本は読んでおけ、人には会っておけ、という気持ちが強くなってきました。
本になるような人は、本を読めばもう一度会えますが、私の多くの友人知人は本になるわけではなく、後悔する前に会っておいた方がいいのは当然です。
先日、昔、お世話になった作家が亡くなり、ああ、もう一度お目にかかりたかったなと思ったものでした。
これほどの大物ではなくても、お世話になったり、交流してきた方で、お目にかかっておきたい方は、まだまだいます。
昨日、そんなうちの二人とランチをしました。
お元気そうで何よりでした。
自分の人生だって、いつまでかわからないのですから、会える時にあっておき、読める時に読んでおくことが、今、すべきことなんでしょう。
そんなことを思った日曜日でした。