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結局、想定する力が足りないんじゃないだろうか

コロナウイルスが暴き立てる日本政府の能力不足というか、タイミングの悪さというのが続いています。

タイミング悪いなあ:アベノマスク第二波

アベノマスクの第二波とか。

政府が配布を続けているのは、介護施設や保育所、幼稚園など向けの布マスク。総額約466億円の予算で始めた全戸向けの布マスク、通称「アベノマスク」の配布とともに、こちらは約504億円の予算で3月下旬から配り始めた。カビや虫などの混入が見つかって回収騒ぎになった妊婦向け布マスクもこれに含まれる。素材や形状もアベノマスクと同じだ。

一度決めたことは完遂するのが、役人根性というものなので、3月に決めたことは予算を使い果たすまでやるわけです。その代わり、本当に必要かもしれないものだろうと、予算がなければやらない。

 厚労省の担当者は「必ずしもまだ十分マスクが行き渡っていると言い切れない状況の中で、布マスクを配ることで需要を抑制する効果は十分認められる」と説明。一方で、今後新たに布マスクを発注する予定は「現時点ではない」としている。

冬にマスクが足りなくなったとしても、きっと配らないので、今もらって備蓄しておくのが良いのかもしれません。

タイミング悪いなあ:Gotoなんとか

もちろん、7月22日からの前倒しした、このキャンペーンもタイミングの悪さでは傑出しています。

Go To キャンペーンの前倒しについて、国際医療福祉大学成田病院感染制御部・松本哲哉主任教授は「タイミングが悪い。感染者の増加を加速させる可能性がある」と批判しています。

安倍さんもそう思っている節があるそうです。

「今は(新型コロナウイルスによる)死亡者も重症者も少ない。でも新規感染者数が増えている中のスタートになってしまい、どうしても不安が広がる。タイミングが悪かったね」
 「Go Toトラベル」事業開始直前、安倍晋三首相は周辺にこう漏らした。

これを、「タイミングが悪かった」で済ませるところが、懲りない安倍政権なのですが、これは実施したタイミングが悪かったのではなく、こういうキャンペーンこそタイミングを見計らうべきところを押し切ったのが「悪かった」ということではないのでしょうか。

タイミングが悪かったという言葉からは、反省が感じられません。運が悪かったという感じで、間違ってはいないという思いが透けて見えます。

でも、4月に予算決定して、8月から実行が決まっていたものを、7月22日に前倒しする決断をしたのは、いつなのか。

その決断のタイミングで、感染者の増加傾向は見えていなかったのか。

そういう反省というか分析をすることが重要ではないかと思うのですが、すべからく、こうした「受け止めるけど反省しない」姿勢が、安倍政権の特徴です。

当時の国会審議では、新型コロナの感染が収束するか見通せない中でのキャンペーン事業促進に疑問の声も出ていた。だが、需要喪失に苦しむ全国の観光業界や飲食業界からの強い要望があったことに加え、「梅雨に入り、気温が上がっていけば新型コロナの感染拡大は和らぐだろうとの楽観的な見方もあった」と政府関係者は語る。

しかし、想定外の感染拡大が起こった、と記事は続くのですが、安倍政権の答弁につきものなのが、「想定外」だということも賢明な読者はすでにお気づきでしょう。

想定する人の「想定」が不十分だとしたら

必ず、何か不都合なことが起きると「想定外」だという言い訳が聞こえてきます。でも、そこで「想定されたこと」は十分だったと言えるのでしょうか。

不十分な想定、間違った想定、想像力の欠如した想定をした人が、想定外だから責任はない、というのは、許されることなのだろうかと思うのです。

想定する立場の人は、想定にかかっている命の重さや、想定が外れた時に起こるであろう被害などを検討しておくことが「責任ある立場」で行うべき行為ではないかと考えるのですが、どうも、そうした緊張感のある想定が行われているように見えないのが、現在の政権と行政です。

想定外を想定内にするために

では、想定ってどういうふうにしてするものなのでしょう。

19世紀後半のドイツの宰相ビスマルクは「賢者は歴史に学ぶ」との名言を残したが、実際には、筆者も含めて「自分が生きてきた時間軸内での経験」にしか学べていない、という面が往々にしてある。今回の新型コロナ危機でそれを痛感している。

この記事で想定外を想定内にするために、3つの視点を上げています。

第一に、冒頭の記述と矛盾するようだが、やはり「歴史に学ぶ」ことは重要だ。特に、歴史の時間軸を伸ばしてみることが、「想定外」を「想定内」にする助けとなる。

今回の感染症でいえば、スペインかぜやペスト、コレラでしょうか。

多くの関連本が売れました。


第二に、時間軸に加えて、幅広く他者の知見から学ぶことも、「想定内」の範囲を広げることに役立つ。特に危機時こそ、限られたリソースを最大限有効に活用する必要があり、他人や他社、他国の経験に学ぶことが重要になる。自分には見えていない世界が他人には見えている可能性がある。

現政権に最も欠けているのが、この視点のように思います。

他者の話を聞かない。身内の言葉だけで判断することが想定の幅を狭くしているのでしょう。

第三に、想定外の事態への対応力を平時から高めることだ。在庫や貯金といったストックを厚くするというよりは、オプションを増やすことで対応力を高めるスタンスが重要だと考える。

内部留保が厚すぎると言われてきた日本企業ですが、結局、こういう危機に遭遇した時に、内部留保が物をいうわけです。現預金を多く持っていた企業がじっと耐えられる。フローばかりの見た目が派手な新興スタートアップなどはひとたまりもないという状況ではないでしょうか。

今後、共産党あたりが唱えてきた内部留保課税などは、言い出しにくくなるでしょうね。

国際水平分業に熱心だった企業ほど、代替案がなくて手詰まりになっているというのも、多くみられるところです。輸入部品不足は、優秀だと言われる製造業の足元をじわじわと削っています。

想定していたことを明らかにして欲しい

コロナウイルスの感染拡大は、確かに、武漢での発見の時点で、誰もここまで世界に広がるとは思っていなかったでしょうし、アジアの問題でヨーロッパやアメリカで拡大するとは思われていなかったでしょう。それは、想定外だったと思います。

でも、何においても想定外だから起きた問題の収拾にあたっては、まず、どういう想定をしていたかを明確にして、その上で、新たな想定を展開すべきではないでしょうか。そこをただ想定外だとだけ言い募り反省しないのは、続けて想定外ばかり起きることになるような気がします。

まずは、その想定が陳腐だったことを公開して欲しいなと思います。

想定する力が足りないトップを持った組織は、その想定の外から崩れていきます。脆弱な組織と忖度ばかりの意思決定プロセス、さらに外部意見を取り入れる勇気がない及び腰の施策の繰り返し、そして撤退の余地がない精神論の横行。

日本は、太平洋戦争の反省で、危機の時に何がダメかを知っているはずなのに、結局、同じことが起きるのはなぜなのでしょう。

それは、結局、想定する力が弱いからではないか、そして、想定を改める力がもっと弱いからではないかという気がします。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。