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漫才論| ³⁶今, オチがしっかりとしたネタを書くべき理由

いつか「ネタの『発想』や『アイデア』や『パターン』が出尽くしてしまう日が来るかもしれない」という話をこの記事に書きました

いつかは分かりませんが,そのような時期が近づいてくると,「『古典漫才』が必要」という話が出てくると思います(「古典漫才」というのは,古典落語のように過去の名作漫才をカバーする漫才のことです)

「古典漫才」の時代が来ることを想定して,今から取り組むべき課題は次の2つです。今回は①について書きます

①オチがしっかりとした漫才を書く
②それをフリー台本として公開する


オチがしっかりとした漫才を書く

「オチが綺麗な漫才を作れるものなら作りたい」と思っている方は少なくないと思いますが,もしかすると,「しっかりとしたオチのある漫才自体を知らない」という方もいるかもしれません(例えば,「夢路いとし・喜味こいし」「横山やすし・西川きよし」,現役では「オール阪神・巨人」「おせつときょうた」など)

昔の漫才は基本ネタ時間が長くオチをつけやすい状況にありましたが,テレビでのネタ時間が短くなるにつれ,オチをつけるのが難しい状況になりました。その結果,オチが弱い漫才が主流になり,今ではオチがない漫才も増えています。そういう漫才をみて育った人は,「しっかりとしたオチのある漫才を作ろう」とは思わないでしょうし,「オチのつけ方」を教えてもらえる環境もほとんどありません

なぜ「オチのつけ方」を教えてもらえないのかというと,教えるのが難しいからです。「オチのつけ方」にはいろいろな方法があり,漫才全体の流れとも関係しているので,それを教えたり文章化するのは簡単なことではありません。それでも,ある「教材」を使うことで,「オチのつけ方」を文章化することに成功しました。よかったらこちらもご覧ください

古典漫才には「しっかりとしたオチ」が必要

最近の漫才は,オチが弱くても,オチがなくても通用しますが,古典漫才においては「しっかりとしたオチ」が必要です。オチが弱かったり,オチがない漫才だと,なかなか語り継いでもらえないからです。一方,綺麗なオチがあると,全体の作品性がグッと上がり,語り継ぐに値するネタになります(オチがなくてもずば抜けておもいしろいネタであれば,「誰かがオチをつけて演じてくれる」というケースもあるかもしれません)

今からストーリーとオチがしっかりとした漫才台本をたくさん書いておけば,古典漫才が必要とされる時代が来たとき,ものすごく有利な立場に立つことができます

「②それをフリー台本として公開する」についてはこちらの記事をご覧ください

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みんなで作る漫才の教科書とは,テーマ別に分類した「漫才論」にみなさんから「質問」「意見」「反論」などをいただいて,それに答えるという形式で教科書を作っていこうというプロジェクトです

THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」

フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔  出演: おせつときょうた

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藤澤俊輔 (漫才作家/小噺作家)
あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】