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漫才論| ⁵⁷"素"の自分が出ていない漫才があまりウケないのはなぜ❓

おもしろいネタをたくさん練習して完璧に演じられるようになり,実際に完璧に演じたとしても,漫才の場合はそれほどウケないことがあります。原因はおそらく,""の自分が出ていないからだと思います。漫才の場合はなぜ"素"を出さないとあまりウケないのでしょうか?


漫才とコントの「演じ方」の違い

コントであれば,おもしろいネタを完璧に演じることができれば大抵ウケます。コントというのは基本が「演技」ですから,「演じている感」があるのは当然ですし,わざとらしい演技であっても全然問題ない場合さえあります

しかし,漫才というのは基本が「会話」で,台本があって演じてはいるものの,それを会話のようにみせる芸ですから,「演じている感」が出てしまうと違和感を感じます。演じているにもかかわらず,「演じていない感」を出さなければいけないのが漫才です。漫才が苦手な人はおそらくこれが苦手なのだと思います

「演じていない感」を出す方法

「演じていない感を出す"演技"」というのもあるのかもしれませんが,「演じていない感」を出すもっともよい方法は,"素"の自分を出すことだと思います。台本どおりのセリフであっても,そのセリフを「"素"の自分の感覚で言う」ということです。普段の会話のように相手の話を「はじめて聞いたような感覚」になって,決まっているセリフを"素"の自分の感覚で言うことができれば,「演じている感」が出ない漫才ができます

変に漫才師っぽい話し方をしようとすると,「演じている感」が出てしまいわざとらしくなってしまいます。わざとらしい漫才は,「企画的な漫才」ならウケることもありますが,「普通の漫才」としてはあまりウケません。漫才師っぽい話し方をイメージしてセリフを言うよりも,"素"の自分の感覚をイメージしてセリフを言ったほうがむしろ漫才らしくなります

漫才がうまくなる近道

演じているのに演じていないように話すのが漫才の特徴ですから,「うまくみせよう」とか「漫才師っぽくしよう」などといった「演じよう」という気持ちが強いとうまくいきません。コント師や声優や俳優の方がやる漫才に違和感を感じてしまう場合が多い原因はおそらくこれです

「演じよう」とするのではなく「"素"の自分を出す」こと,これが漫才がうまくなる近道です

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THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」

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作: 藤澤俊輔  出演: おせつときょうた

あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】