漫才論| ⁸¹笑い飯は"やすきよ漫才"の劣化版❓
笑い飯が出始めた頃,「『ボケとツッコミ』ではなく,『Wボケ』というのは新しい」とよく言われていましたが,ボケとツッコミを完全に分けるのがあたりまえになったのはダウンタウン以降で,それ以前は,ネタの途中でボケとツッコミが入れ替わる漫才は普通に存在していました
ですから,昭和の漫才を知っている方はWボケに「新しさ」を感じることはなく,むしろ,「やすきよ漫才の劣化版では?」という印象を受けた方もいるかもしれません
笑い飯の"新しさ"
笑い飯が"新しい"のは,「Wボケ」のほうではなく,「『代われ』と言って交互にボケ合戦を繰り広げるスタイル」のほうです。このスタイルはなかなか思いつきません。漫才中に「(ボケを)代われ」なんて普通は「言ってはいけない」と思うものですが,笑い飯は「二人ともボケたい気質」だったために,あのスタイルが生まれたのだと思います。あのスタイルだと,「かなりボケ数を増やせる」というメリットがあります
ただ,昭和の漫才が好きな人であれば,自然な流れでボケとツッコミが入れ替わるからいいのであって,「『代われ』と言ってしまうなんて邪道。やすきよ漫才の劣化版」と感じた方もいたのではないかと思います
やすきよ漫才の"劣化版"なのか
もしかすると,「やすきよ漫才」を知らない方もいらっしゃるかもしれませんが,「横山やすし・西川きよし」という昭和の伝説的な漫才師のことです。笑い飯のWボケ漫才には,「やすきよ漫才」を彷彿とさせる要素もあるような気がします(雰囲気ですかね?)
「笑い飯の漫才は『やすきよ漫才』の劣化版なのか」と言われると,ある意味ではそうなのかもしれません。自然と流れるようにボケとツッコミが何度も入れ替わるスタイルのほうが難易度が高く,「『代われ』と言ってボケとツッコミが入れ替わるという"安易なやり方"はよくない」という考え方もあると思います
笑い飯の"すごさ"
ただ,笑い飯のすごさは,二人ともボケだけでなくツッコミもめちゃくちゃうまいということです。「Wボケ」と言うと,「ただ交互にボケているだけ」というかんじがしてしまいますが,ツッコミもうまいです。そして,二人ともしゃべりもうまいです
「『代われ』と言ってしまう」というある意味邪道で,昭和の漫才の"劣化版的手法"が成立しているのは,ひとえ二人の漫才の「うまさ」によるものだと思います。あの「うまさ」がなかったら,それこそ"ただの安易な劣化版"という評価で終わっていたかもしれません
笑い飯の漫才をみるときは,「Wボケ」のほうではなく,二人の漫才の「うまさ」に注目してほしいなと思います
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THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」
フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔 出演: おせつときょうた