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漫才論| ³²M-1グランプリ2018でのギャロップの漫才はただの「自虐ネタ」ではなく「会話を漫才に昇華したネタ」だったのでは❓

ラストイヤーである2018年,ついにM-1決勝に進出したギャロップでしたが,「自虐ネタだ」と言われかなりの低評価・・・。ナイツ塙さんも,著書 「言い訳」でこのように書いています

上沼さんは,発想が安易だと言いたかったのだと思います
15年くらいのキャリアを積んだ芸人が陥りがちな罠でしょうね・・・・・・
つまり,知名度もそこそこあって,ファンも付いてるので,そのアドバンテージで笑ってもらえる。そのぶん,ネタの作り込みが甘くなる。だからM-1決勝という大舞台では,まったく通用しなかったのです

上沼さんと塙さんのこの意見に,私は猛烈に反対したいです!


林さんが「たまたまハゲていた」
というだけの話

2018年のM-1では,ギャロップがもっとも正統派のしゃべくり漫才だったと思います。正統派のしゃべくりのうまい漫才が大好きな人間からすると,あれは単なる「自虐ネタ」ではなく,「会話を漫才に昇華したネタ」だと思います

会話を漫才にするわけですから,等身大の自分たちが漫才に反映されるのは当然です。つまり,林さんが「たまたまハゲていた」というだけの話です。それを「自虐ネタだ。発想が安易だ」という評価は,まったく納得がいきません

会話を漫才に昇華するためには

発想が安易な自虐ネタとギャロップのネタとでは何が違うのかというと,一番は「漫才のうまさ」だと思います。とにかくしゃべりがうまい。二人ともうまい。二人ともボケもツッコミもうまい。そしてその二人の掛け合いがめちゃくちゃうまい。「会話」のような内容をちゃんとした「漫才」としてみせるためには,このうまさが必要です

そんな二人が,たまたまハゲていた林さんならではの「会話」のようなネタをものすごくうまい漫才に仕上げているのに,それを「単なる自虐ネタ」の一言で片付けるのはものすごく失礼なことだと思います。なぜなら,これができる漫才師はそんなに多くないからです

会話を漫才に昇華するメリット

会話を漫才に昇華するメリットの一つは,ボケとツッコミが自由自在に入れ替われることです。普段の会話でもそうですが,大抵,会話の内容によってボケとツッコミが入れ替わることがあります。それを漫才に昇華すると,ネタによってボケとツッコミが替わったり,ネタの途中で入れ替わったりすることになります。ギャロップがやっているのはこのような漫才です。これは,最強の漫才スタイルだと思います

ただ,せっかく「ボケとツッコミが自由自在に入れ替われるスタイル」なのに,M-1決勝のネタの構成だと,毛利さんがボケでもツッコミでもなく「ただ合コンに誘っているだけの人」という役割になってしまい,本来の「うまさ」が見えにくくなってしまったのはもったいないと思いました

でもギャロップは,この最強のスタイルに辿り着いたわけですから,漫才師としての未来は明るいと思います。一生漫才を続けてほしいです

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みんなで作る漫才の教科書とは,テーマ別に分類した「漫才論」にみなさんから「質問」「意見」「反論」などをいただいて,それに答えるという形式で教科書を作っていこうというプロジェクトです

THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」

フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔  出演: おせつときょうた


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藤澤俊輔 (漫才作家/小噺作家)
あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】