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【原文】富士下山ガイド「宝永山」

割引あり

標高2693mの宝永山の山頂を目指す。
富士山の開山期は7月初旬~9月初旬のおよそ2か月のみ。冬季の閉山期を除く春と秋はこの宝永山の山頂がオフィシャルに辿り着ける富士山の最高到達点である。標高2400m、富士宮口五合目を出発して約300mの登山となる。

雲の上に現れた宝永山山頂(通称「赤岩」)

六合目の分岐を宝永火口の方へ直進しする。
富士山の中腹で森林を形成する「カラマツ」が良く目立つ。
カラマツという木はその名の通りマツの仲間なので針のような葉を持つ針葉樹である。常緑で、濃い緑色のイメージが強い針葉樹だが、このカラマツは日本にもとから存在する針葉樹の中では唯一冬に葉を落とすため、漢字では当て字で「葉を落とす松」落葉松と書かれることもる。葉を落とすということは、秋になるととても美しく黄葉するのだ。黄葉と言ってもモミジやカエデのような赤い紅葉ではなく、黄色い黄葉なので、10月中旬から11月の初旬にかけて、富士山五合目周辺はとても美しい黄金色に染まる。
もちろん葉を落とすことも、富士山の厳しい冬を乗り切る体力温存という一つの戦略なのだが、最大の特徴は、強風・暴風に耐え忍んで生きるための術を持っているということ。富士山は独立峰であることから風当たりが大変強く、山頂では最大で91mを観測したこともあるほど。五合目でも冬には20~30mもの風が吹き付ける。たとえ強くて堅い樹木であっても、そんな厳しい環境の中で直立していることはとてもできない。そこでカラマツは風にたなびくように横に伸びるという選択をしたのだ。富士山は偏西風の影響で西から強風が吹き付けるので、カラマツは東向きに、富士山の地面を這うように成長していく。これはカラマツが他の木よりも成長スピードが速いため、その時、その場所の自然状況に合わせて成長の方向を柔軟に変えられるためだと考えられている。他の種類の樹木はまっすぐ空を目指して光を求めようとするが、強烈な風に耐えられず折れてしまう。結果として富士山ではこのカラマツが一番高い所まで生息域を拡大し、森林限界地点の最大勢力と成りえたというわけだ。

よく比較されるのが日本アルプスなどに生息するハイマツという松。その名の通り強風に耐えるため地面を這うように生育するのだが、よく似た標高、環境の富士山には一本も生息していない。実はハイマツは氷河期の生き残りの真正高山植物で、極寒の氷河期に適応して進化したため、地球が温かくなるにつれて暑さに耐えられず、涼しい高山に逃げ込んで生き残ったものが隔離された。現在私たちが見ている富士山は氷河期の終わりの噴火によって出来上がった山であるため、ハイマツが逃げ込むタイミングが無かったというわけだ。一方、様々な環境への順応性が高かったカラマツは、低山から徐々に生息域を拡大して、一万年もの時間をかけて富士山の2600m付近まで侵出て来たというわけだ。
見事なまでにテーブル状に成長したカラマツの樹形をすり抜けると、富士山の山体を大きくえぐる宝永火口と、そびえ立つように突き出た巨大な宝永山が見えてくる。宝永火口と宝永山がいつどのようにして誕生したのかは「宝永第一火口」の項に詳しく記したのでそちらを参照してほしい。

宝永第二火口縁に沿って第一火口へ向かう。西側の斜面にはイワスゲを中心とした美しい草原が広がり、四季折々様々な草花を楽しむこともできる。8月、富士山の盛夏に彩をそえるヤナギランが遠くに小群落を作っていた。
この辺りの岩場ではカモシカと遭遇することがある。豊富に茂った草を食みにやってくるのだろう。長年保護対象として守られてきたカモシカはあまり人を恐れることがなく、登山道を歩く私たちの前を悠然と横切って行った姿を今でも思い出す。

第一火口底に降り立つと、その火口の大きさに圧倒される。直径1200m、火口の最上部は八合目辺りまで到達しているのだから無理もない。巨大な火口を眺めながらしばし休憩。火口の中には大小様々な形の火山弾が散在している。実は火山弾には妨錘状、リボン状、パン皮状などその形によってそれぞれ名前が付けられているので休憩がてら探してみるのも楽しいかもしれない。

宝永第一火口底の火山弾

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