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うつ病の私が見ている世界 第6話

 松林を背に、弓形に広がる海水浴場の、その奥に大藪防波堤がある。
 防波堤の先には小さなずんぐりした灯台があって、興味が湧いた。
 ただそれだけだったのだ。

「なぁんだ、あんた、暗い顔で歩いてるから、てっきり…」
 本日の営業をすでに終了していた漁協直売所からスルメを持って走り出してきた地元のマダムは、そう言ってカラッと笑った。
 私たちは、色褪せたベンチに並んで腰掛け、マダム持参のタッパー入りスルメを齧っていた。普段は、漁協直売所の試食用タッパーに使っているらしい。
 灯台を目指して歩いていた私は、ついでに魚でも泳いでいないかと船着場の縁から海を覗いて歩いていたところを、マダムに自殺志願者と間違えられて、
「ちょっと待って!ねえ、スルメ美味しいから食べてみて!」
 と呼び止められ、腕を組まれてズルズルと、漁港直売所の横のベンチに連れてこられたのだった。
 確かにスルメは絶品だった。
 マダムが、
「お店を閉めてさ、カーテンかけて、隙間からヒョイって見たら」
「はい」
「ちょうどあんたが暗い顔で、こう、トボトボトボトボ歩いてるじゃない」
 マダムは、肩を落とし、首を落として、左右に揺らして見せた。
「アタシ、ピーンときてね、あっ、これ自殺する気だ!って」
「そんなぁ」
「もうね、暗くてね、今にも飛び込もうってして見えたよ、あんた」
「ただ、魚をさがして歩いてたんですよ〜」
「そうね、なら良いんだけどね」
 マダムは漁協直売所のパート職員で、たまたま今日は、レジ締め&閉店シフトであったらしい。
「どこからきたの?」
「東京です」
「土肥、なんもないでしょう」
「でも、素晴らしいところですよ」
 本心だった。
「子育てが終わったら、ここに移住したいと思いますもん」
「えー!物好きぃ」
 マダムがタッパーを振って、中のスルメを片寄せた。私をみて、にっこり笑う。
「お酒なくてごめんねえ。スルメばっかり食べさせて」
「明日、お土産買いに来ますね」
「いいわヨォ」
 しばらく他愛もない会話が続いた。
 堤防を諦め、そろそろホテルに戻ろうかと立ち上がった時、
「ねえ、あのさ」
 マダムが言った。
「何があったか知らないけど、今、何かお仕事してるなら、それ絶対に辞めない方がいいよ」
「え?」
「人生は愛だなんだっていうけどさ、ちゃんと自分のためにお金を稼ぐことも、愛だからね」
 ベンチに座ったまま、真っ直ぐマダムが私の目をみて言った。
「サ、そろそろホテルの夕食の時間でしょ、家族が待ってるよ」
 帰りは、マダムが海水浴場まで見送ってくれた。 
 海水浴場をそのまま行けば、ホテル前のビーチに辿り着く。
 私は砂を踏んで歩いた。
 ずんぐりした灯台の、オレンジ色の灯りが遠ざかる。
 海水浴場からホテルのプールに入る足洗い場に、長女が立っていた。
「ママ!」
 私を見つけて長女が言った。
 もう私の身長を10センチも超えた長女が、
「昼寝から起きたらママが居なかったから、探しに来ちゃった」
「何それ〜、子供みたいに」
「まだ中二だもん、子供だよ」
 長女が笑った。
 ホテルのプールは『本日の営業は終了しました』の看板を掲げて、地元で雇われたホテルスタッフの高齢者たちが清掃をしていた。
「ママ、子育てが終わったら、ここで雇って貰おうかな」
「えっ、ママ引っ越しちゃうの?」
「ただ思っただけだよ」
「ママ、東京嫌い?」
「なんで?」
「なんかさ、嫌いのかなって」
 そう言って長女が笑って、
「ママがこっちで働いたら、パパはどうするの?」
「そうだねぇ」
「ずっと一緒だよね」
「うん」
「もしママが、老後にこっち来るなら、私もこっちで働こうかな」
「何言ってんの。ママ、多分ずっと近所の喫茶店でパートしてるよ」
「よかった」
 土肥港に、清水からきたフェリーが着岸していた。
「あんたもさ、大学か大学院を出て就職したら、結婚しても仕事辞めない方がいいよ」
「どしたん、急に」
「どこにも行けなくなっちゃうから」
「ママさ、パパのこと嫌い?」
「え!?好きだよ」
「よかったー!離婚でも考えてるのかと思った!」
 リコンデモ、カンガエテルノカトオモッタ。
「しないよ〜、離婚なんて」
「でもさ、おばあちゃんたちのことは嫌いでしょ」
 ドキリ。
「見てたらなんとなくわかった。パパは気がついてないみたいだけど、おばあちゃん、ママにめっちゃ勝負かけてくるもんね。ママは最初から、はい負けました〜って言ってるから、おばあちゃんの不戦勝になって勝負になんないけど、すごく辛そうに見える」
 水平線の上に雲がかかって、その雲の奥で夕陽が燃えているのか、雲は見事な紅に染め上げられていた。
「ありがとう、心配かけさせちゃってごめんね」
「大丈夫だよ。ママには、パパも私たちもいるよ」
 
 その三日後、フジリンゴ族は義母によって燃やされた。

 強くならねば。
 具体的に、強くあらねば。
 たかが時給1115円のパートでも、稼ぎ続けることを止めてはならない。
 それが私が、うつ病になってもシフトを減らしたくない理由。
 うつ病になって以来、眠れても4時間が限界だった。日によっては三時間。
 真夜中に目が冴えてしまい、眠れなくなった。
 キッチンで一本タバコを吸って、丹念にマウスウォッシュと歯磨き、舌磨きをする。
 体重はみるみる減って、一ヶ月ほどで10kg落ちた。
 食事をし、睡眠をとり、適度な運動をしなければ。
 それでも食事を摂ろうとすると、義母の高笑いが脳内にこだまする。
 165cmで38kgの義母は、痩せていることが何より自慢で、よく小太りの私を揶揄しては、時には近所の人まで巻き込んで私を笑った。
「ほら見て!うちのお嫁さん、逞しいでしょう!アタクシだったら、こーんな重い荷物を持てないわぁ」
 そんな時、私は笑顔で力こぶなんか作って見せて、
「大丈夫です、力持ちだから!」
 なんて笑っていた。
「でも、ちょっと痩せた方が良いんじゃない?太って見にくい母親は、子供たちも恥ずかしがるわよ。最近のお母様ってみんなスリムでお綺麗じゃない。洋子さんはお友達がいない知らないでしょうけど…」
 そう言って、それはそれは愉快そうに笑うのだ。
 もちろん私も、数少ないが友人と呼べる友が何人かいる。
 義母のように、ブランドバッグや自慢話で殴り合いこそしないけれど、好きなアニメの第二期放送が決まれば、いの一番に連絡をくれて共に喜びを分かち合える友が。
「おしゃれしてホテルランチも観劇もできない方って、それってお友達なのかしら…」
 なんて義母は言うが、生きる世界が違うのだ。
 おしゃれしてホテルランチに行くよりも、公園でホットコーヒーを飲んだ方が、私は何倍も、何十倍も好きなのだ。それに、ホテルランチに行く余裕もないし。
 もちろん、好きなアニメのコラボカフェは絶対に行くけれど。

 ふと思い当たることがある。
 フジリンゴ族の幻覚について。
 あの晩、義母によって燃やされたフジリンゴ族たちは、荼毘にふされたのではなかろうか。そしてフジリンゴ仏の元にゆき、フジリンゴ如来になるための修行を積んでいるのではなかろうか。フジリンゴ仏は、ご存じのように、りんごの上に大輪の蓮の花を咲かせている。フジりんご族は、私に、足元だけの姿を見せているのは、頭のりんごの上に、すでに小さな蓮の芽が生えているからなのではないだろうか。
 フジリンゴ族たちは健気にも、まずは天部、フジリンゴ天になるべくして、日々研鑽を積んでいるのではなかろうか。
 だとしたら、私がなすべきはただ一つ、フジリンゴ天の姿を作ってやることではなかろうか。荼毘にふされたフジリンゴ族は全部で17体。
 私は大量の石そ粘土を用意して、まず17体のフジリンゴ店を作って然るべきなのではなかろうか。
 このまま無事に、フジリンゴ族、フジリンゴ天、フジリンゴ明王、フジリンゴ菩薩となれるよう、今こそ私は、粘土を捏ねる時なのではないだろうか。

 その想いのたけを、私は〇〇心療内科で力説した。
 松永医師は、辛抱強く私の話を聞いてくれ、そして、処方される薬が増えた。
 これまでのワイパックス0.5錠に加え、幻覚、幻聴を抑える効果があるという、エビリファイ錠1mgが二週間分も処方されてしまった。
 この話は第7話で詳しく語ろうと思います。

 

 


 

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