少しづつ始めたいと、思い始める
僕は兵庫県加古川市の街なかで月一回、学びの場を主催している。
MANABIYA Kakogawa
僕が加古川に生み出したイベント。
なぜ始めたのか。自分の振り返りも兼ねて少しづつ書いていこうと思う。
考えながら書き、書きながら考える。毎日、揺らぎながら書いてます。
お時間あれば、どうぞご笑覧ください。
#19 //////////
まちの声を聞きたくてまちに飛び込んだ自分
地元で行われるイベントは盛り上がりを見せるが、やりっぱなし感があって、これから継続していくようには見えなかった。それはそれでいいと思うし、すべてがすべて続ける必要はないと思う。でも、その中からなにか続いていくようなものが無いと、まちは消費されるだけで一時的な熱が冷めるとまた、いつもの錆びれた商店街に戻ると思った。特に商店街に思い入れがあるわけではない。でも、まちのエネルギーをただただ消費しているのは勿体ないと思うし、僕が少しでも「まちづくり」をしてきたという自負があるなら、何か出来るんじゃないかと思っていた。
自分が何者かわからなかった現実、まちの人たちの熱量に自分は何もしていないという焦り。
そんな思いを抱えている中で、何か出来るんじゃないかという思いが沸き上がってきたが、果たして自分に何ができるのか?と問いかけてみた。会社では仕事が与えられ、その範囲でどうにかして良いものを作ろうとしてきた。でも、ここでは、そもそも何をするかから始めないといけない。いきなり、「土地区画整理事業します」なんて言っても、出来るはずもない。
そんな時、心に浮かんだのが「ひめじまちづくり喫茶」だった。
あの場では、新しい出会いが継続的にあり、新しい知識を継続的に得ることが出来る。
まちにとって必要なこと、志を持ったまちの人たちが少し知識を持ってまちなかで活動すると、そこには継続的なまちの成長が見込めるのではないかと思った。
だから、僕は「ひめじまちづくり喫茶」を加古川でしようと思った。
加古川の人たちに「まちづくり」に関するいろいろな知識を得てもらい、もっともっと街なかを楽しく使い、そして継続的にまちも人も成長できる環境ができるのではないかと思った。
仕事は大阪で、休日は家庭があり、平日の夜ぐらいしか活動出来ない僕に出来ること。
それが「月一セミナー」の開催だった。
月一回の講師を呼ぶのは難しいと思った。
僕にそんな繋がりは無いが、大阪や姫路で知り合った人たちから繋げられるかもしれない。
ノウハウも無い、協力してくれるメンバーもいない。
そんな中で、何とか始めたいと思った「月一セミナー」
僕のやりたい思いは膨らむばかりだった。
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