まちのプレーヤーはつくれたか?
2年前から月一回がんばって開催しているまちづくりセミナー【MANABIYA kakogawa】
フツーのサラリーマンのおじさんが始めたイベントなんで、ノウハウもお金もツテも無いなか始めたもんで、なかなか大変でした。どんなイベントかって言うと、加古川以外で積極的に活動している面白い人をお呼びして話を聞こうという企画です。
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幸せな帰り道を経験して・・・・
MANABIYAにはモデルがあります。僕が姫路で出会った素敵なイベント、「ひめじまちづくり喫茶」です。僕はそこで素敵な体験をさせてもらいました。いろんな人たちとの出会いは刺激的だったんですが、僕が一番印象に残っているのは、
会場から姫路駅までの帰り道
一人であるく大手前通りがとても心地よく
なんて世の中は多様なんだろう
なんて世界は広いんだろう
なんて世の中はおもしろいんだろう って思い
淋しいはずの帰り道のほうが
少し心が温かく
少し心が大きく
明日が楽しみに なりました
そんな体験をすれば、まちが好きになり、まちを好きになった人たちが活動するとまちはもっと面白くなると思いました。だからMANABIYAは「まちのプレーヤーづくり」にって思って始めたんです。
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ウロウロ動いて出来た
かけがえのない人たちと時間
人脈も無い中でいろんなところに行って、無理やりお願いしたこともありました。謝礼も少ないです。でも、みなさん「いいですよ~」って温かく引き受けてくれました。
なかなか人も集まらない時もありました。結構、辛かったですね。伝えるって難しいですね。でも、一緒にやってくれるメンバーが二人も出来ました。こんなおっさんに賛同してくれる人もいるんですね。本当に二人のおかげで僕は頑張れたのだと思います。
常連さんも出来ました。つたない進行にも付き合ってくれ、集合写真を撮り忘れてたら「写真写真!」って言ってくれたり、一緒に片付けしてくれたり。そんな人たちと過ごす時間は楽しかったです。
伝えるために色々勉強もしました、ブランディングも少し勉強して、自分なりにMANABIYAのブランディングもやってみました。チラシもいろいろ作りました。なんか、土木技術者とはぜんぜん関係ないですね(笑)
まちのプレーヤーは育ったのでしょうか?2年やってきてどうだったんでしょうか?誰かを育てる。そんなおこがましい事じゃなかったように思います。僕がMANABIYAやMANABIYAに関わってくれる人たちに育ててもらったように思います。
メイン会場として使わせてもらった「00」が3月で終わるそうです。3月のゲストは調整できなかったので、「00」でやる、いつものMANABIYAはvol.24が最後でした。
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まちのプレーヤーは育ったか?
2年間やって思うこと
たぶん、そんなに簡単には育たない。そして、くしくも2歳になるvol.24のゲストで来て下さった春下さんの話もそういった話でした。
カリキュラムに沿って工場で作るようにはプレイヤーは育たない。自分が感じるジレンマ、ギャップ、戸惑い、そんな胸が苦しくなるような思いを持って一人で動いて、誰かに支えられて、自分の信念を貫き通しながら歩んでいったその軌跡がプレイヤーたらしめているんだと思います。
以前、久留米のおきなさんに教えてもらいました。
"プレイ"は"PLAY"
”PLAY”は”遊ぶ”
そう、プレイヤーは「稼ぐ人」や「つくる人」ではなく「遊ぶ人」です。
2年間、自分の力のなさに悶え苦しみながらも、MANABIYAに参加してくれた人たちと楽しく遊んできたと思います。
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まちで踊る
僕はジェイン・ジェイコブスが大好きです。彼女の表現は人間らしさを感じさせてくれます。彼女は都市の振る舞いを「まちのバレエ」と言いました。朝から夜まで、いろんな人が自分の好きな時間に好きなことでまちという舞台で踊る。
自分らしく踊りたい所で好きな時だけ踊る。僕はそうありたいと思っています。2年間「00」っていう素敵な場所で踊らせてもらえました。
これからどこで踊ろうかな?誰と踊ろうかな?
よくわからないけれど、2歳になったら歩いて外に出る時期ですよね。少し気楽に、素敵なメンバーといろんなところで踊りたいですね。
「お出かけMANABIYA」
メンバーが素敵な名前を作ってくれました。
そして、僕の学びはつづく
帰り道
明日が少し楽しみになる
ありがとうMANABIYA Kakogawa