内在的価値をまちづくりの文脈で読み解く
先日読んだ「絶滅できない動物たち」の中にあった【内在的価値】という言葉が気になり調べてみるとなかなか面白いなと思っています。
1.【内在的価値】とはどういったものか?
【内在的価値】と対になる言葉として【道具的価値】があります。
道具的価値とはあくまでも道具でありその行為自体に意味を持つものではありません。逆に内在的価値とはその道具を使うことや存在することに意味を持ちます。
例えば、『車を運転する』は移動手段として利用する道具的価値があります。しかし、『車を運転する』ことで気分が高まったり、嫌なことを忘れてリセット出来たりそのこと自身に意味を持ってくると、その行為に内在的価値が生まれます。移動する手段としてならバスやタクシー、電車でもなんでもOKなわけですが、気分を変えるためにはバスやタクシーではダメなわけで、『車を運転する』でなければならない訳です。
【内在的価値】という言葉はどうも環境倫理学の側面で使われている言葉のようです。これだけ人間の行為が地球環境に大きく影響を及ぼす時代になったからこそ、このままでいいのか?これからどうあるべきか?保全するのか?保存するのか?(保全と保存は違うそうです)といった事の議論の中で、そもそも動植物をなぜ保護(保全と保存を内包する言葉として使ってみました)するのか?といった文脈から動植物の内在的価値を見出すという意味で使われているようです。
あくまでも、それ自体も人間中心の考え方ですが、ルネサンス以降の人間中心主義の揺り戻しとして人間以外にも価値を見出す行為として内在的価値という言葉が使われているのかな~と思っています。個人的には行き過ぎた人間中心主義もどうかと思っているので、こういった考え方はそこそこ好きです。
2.まちづくりにおける【意味】
まちづくり、コミュニティデザイン、都市環境デザインでは【居場所】という言葉をよく聞きます。人々の結びつきを大切にする中で居場所が出来る。居場所があるからこそ人と人の心がつながり、その場所に【愛着】を持つ。愛着を持ってもらうようなデザインや持ってもらうことにより豊かなまちのシーンを作る。そこに場所の【意味】を持たせる。そういった文脈がよく語られています。
この【意味】が凄く大切だと思います。
例えば、僕にとって中之島は【意味】を持った都市空間です。水辺がありオープンスペースがあり、人々がそこに集いさまざまなアクティビティを楽しんでいる。そんな光景を見るのが好きでした。でも、それは中之島以外でも同じような光景はあります。神戸のメリケンパークも水辺とオープンスペース、さまざまなアクティビティがあります。
違うのは僕がそこでどんな体験をしたか?でした。僕が不安を抱えて大阪に赴任したとき、中之島に出会いました。2年間、お昼休みや帰宅中に歩き続けた中之島は素敵なシーンを僕に見せてくれました。その日々の積み重ねが僕にとって居場所になりました。それはメリケンパークでは経験していないんです。だからこそ、そこに【愛着】が沸き【居場所】と思い【意味】を持つ。このプロセスが大事なんだと思います。
3.【内在的価値】と【意味】
【内在的価値】とは使うことやその場所自体に潜む価値。それは、道具的価値を認め使っていくプロセスの中でその人特有の価値として認識されるものです。
一方、【意味】とは”まち”を使っていくなかでまちの【利用文脈】を読み解き自分なりに咀嚼していく、その中で愛着や居場所が生まれ意味として認識されるものだと思います。
どちらも、使ってみることで自分の価値観に当てはまる。価値を持つことで存在意義を認め、大切に扱う。この二つの言葉はどちらもプロセスを踏むからこそ沸き上がってくるものです。
ちょうどいま読んでいる本『プレイスメイキング~アクティビィティファーストの都市デザイン~』の中で面白い図がありました。プレイスメイキングはヒューマンサイズのアクティビィティから都市をデザインしていく手法で僕が大好きな考え方です。
その本のなかで、『場所性』の構成要素として『物理的環境』『活動』『意味』があると書いてありました。これにプロセスの矢印を引きました。
何かをしたくて道具を使う。(活動→物理的環境)
道具があるから何かをする。(物理的環境→活動)
どちらもある行為だと思います。
でも、『意味』から始まることはない。最後に帰結するのは『意味』。やってみるからこそ『意味』が顕在化される。
【内在的価値】と【意味】は同意語だと僕は思います。
4.心のピース
内在的価値や意味はプロセスを踏んで沸き上がるもの。それはコトの本質に近づく行為だと思います。何かを成そうとするとき、手段と目的があります。目的のために手段がある。目的とはその行為に宿る本質。常に何のためにしているのか?その問いかけをしながら歩んでいく。内在的価値や意味を見いだすことは本質を見つけていくことだと思います。
では、本質とはひとつでしょうか?
『真実はいつもひとつ!』
という有名なアニメはありますが(笑)
ある場においての本質は限定的だと思います。それはちょうど、心に持っている欠けたピースを当てはめていく事のように思えます。自分のなかにある価値観。その価値観というジグソーパズルのなかで欠けたピースをその場の利用文脈から読み取り当てはめる。
本質が一つということは物事を収束させていく行為なので、まちの【意味】を見いだすことは”まち“を均一化させることか?といえばそれは真逆だと思います。
心のピースは人それぞれ違う。僕が持つピースとあなたが持つピースは違う。それぞれが違う形のピースを追い求める。ということは、いろんな人がその場で自分なりの【意味】を見いだすことが出来れば、その場はいろんな形のピースを提供出来ている場なんだと思います。それこそが多様性だと思います。多様性とはさまざまなピースを提供出来る場。そこに人は自分なりにピースを見いだし、自分の中で当てはめる。
ただ、心のピースがジグソーパズルのピースと違うのは限界がないことだと思います。心に当てはめたピースは自分の中で広がりを持ち、そのピースがまた新たなピースを求めていく。そうすることで、自分自身の生活が豊かになり心に鮮やかな色彩を放っていくんだと思います。
そんな人達に彩られた”まち”はとても暖かく誰でも受け入れる許容性を持っていると思います。
日々自分に問いかけながら、【内在的価値】や【意味】を見いだす行為を繰り返す。それにより、自分の生活、自分の周り、自分たちの”まち”がより豊かに鮮やかな色合いを放つ。そんな素敵な循環を生んでいくのが『まちづくり』なのかもしれないと思います
全部で2758文字でした。(タイトル除く)
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