ワタシハナニモノカ?
僕は兵庫県加古川市の街なかで月一回、学びの場を主催している。
MANABIYA Kakogawa
僕が加古川に生み出したイベント。
なぜ始めたのか。自分の振り返りも兼ねて少しづつ書いていこうと思う。
#16 //////////
ひめじまちづくり喫茶で知り合った方が、僕が住んでいる加古川で新しいコミュニティースペースが生まれようとしている事を教えてくれた。
そして、僕はその方と一緒にそのコミュニティースペースで開催させるイベントに参加することになった。
・加古川の人たちとの出会い
スペースの名前は「00」
イベントの名前は「かこがわ飲み会議」
そのスペースは駅前の廃れた商店街の中のお店をDIYで地域の人たちが改装した場所。お金の無い中でとりあえず作った場所で手作り感がいっぱいだった。でも、その手作り感で未完成だからこそ、これからなにかワクワクしたことが生まれそうな感じだった。なにより、その場所がよかった。
以前、東京の研修でホスピタリティの高いお店の設えについて聞いた。
①角地であること
②ガラス張りで中が見えること
③一階の景観に気を使っていること
④入り口に花、椅子を置いておくこと
この要素のうち①~③が満たされていた。
”まちに対して開いている場所”
そんな雰囲気が「00」にはあった。
そして、「かこがわ飲み会議」
そこにはいろんな人が集まっていた。
・農業を始めようとする人
・会社づとめをしながら副業をしている人
・地元で起業しようとしている人
・毎年凧揚げイベントしている人
・行商をしている人
・フラメンコサークルの人
・ボードゲームのお店をしている人
・中学校給食の導入に向けて活動している人 など
その場にはすごい熱気があった。みんな、何かしたい!その中で繋がりを求めて集まった人たち。
僕が求めていた「まちの人たちを知る」場がここにはあった。
・自分はなにもの?
いろんな人との出会いは僕をワクワクさせると同時に、僕に現実を突き付けた。
「農業やってます」「凧揚げがんばってます」「お店始めました」
みんなはいろんな目標や夢を話してくれる。
自分がやっている事、これからやりたい事、そんな【自分】をみんなは表現していた。
じゃあ、僕が表現する【自分】とは?会話の中で、僕は僕の事を話す。
「土地区画整理事業してました」と言う。
みんな土地区画整理事業を知らない。土地区画整理事業を知らないから、出来るだけわかりやすく話をする。仕事では事業をすることを前提として話をするので、地域の人たちは説明が長くても聞いてくれる。でも、ここはそんな場ではない。確かにまちを作っていく仕事なので話がいもあるし、規模もでかい。その分、話が長くなる。そして、それがみんなのどんな役に立っているのか、的確に話す術(すべ)を僕は持っていなかった。だから、まちなかで僕が僕のしてきたことを話す時間はあまりなかった。
少しでも時間があれば、僕は僕のしてきたことを話しした。
でも、それは僕にとって過去形であり、現在進行形の話ではない。
「土地区画整理事業をしてました」とは言えても、
「土地区画整理事業をやっています」ではない。
会社を離れ一人の人間としてまちに飛び込んだ時、僕は今まで何をしてきたのか的確に話が出来ず、これから何を武器にして何をしていきたいのか?よくわかっていない状態だったことを実感した。
そして、もう一つの気づき。
ここでは会社の【肩書】が通用しない。
僕が務めている会社は「まちづくり技術センター」という団体だが、
仕事は行政サポートなので、まちの人たちは直接僕たちの組織に触れることは無い。だから、何をしているのかを伝えるのに手間がかかる。そして、その団体は自分たちにとってどんな繋がりがあるのか?実感しにくい組織なので、話をしてもみんなピンとこない。
名は体を表すというが、名がぼやけすぎて体を表しにくくなっている。
「まちづくり技術センター」という名前から、ザクっと「まちづくり」をしているっぽいが、「まちづくり」自体が曖昧でよくわからない。結局、自分の組織はまちの人たちにどんな価値を生んでいるかを話すことが出来なかった。
まちの人たちと挨拶をするときも名刺は使う。
今まで、仕事では簡単に交わしていた名刺交換が簡単に交わせない。仕事では、相手は僕が所属する組織も仕事の内容も分っている。だから、そこに属する自分だけを覚えてもらったらよかった。
でも、ここでは違う。組織も知らなければ、自分の事も知らない。そんな人たちにどうやって自分の事を伝えるか?
職場を離れ個人としてまちに臨んだ時、僕はまちに対し何が出来るのか?
みんなには武器がある。「農業」「凧」「お店」など、
僕は全くの丸腰でそこに乗り込んでいってしまった。
あなたはこれから何がしたいの?
あなたは何を武器としているの?
そんなことを問いかけられているような気がした。
したかった仕事がなくなり、会社を離れた僕にとって『自分とはなにものか』が無かった。僕が望んだ「まちの人達を知る」と言うことは、「自分を知る」と言うことにつながることだと痛感した。
20年間会社が用意したプールで泳いでいた人間がいきなり外海に放り込まれた現実。
まちの熱量に触れたと同時に、『自分はなにものか?』を突き付けられ、僕は焦りを感じた。
(つづく)
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