ニーズ(needs)を満たす場
僕は兵庫県加古川市の街なかで月一回、学びの場を主催している。
MANABIYA Kakogawa
僕が加古川に生み出したイベント。
なぜ始めたのか。自分の振り返りも兼ねて少しづつ書いていこうと思う。
考えながら書き、書きながら考える。毎日、揺らぎながら書いてます。
お時間あれば、どうぞご笑覧ください。
#17 //////////
自分はなにものか?
会社を離れて個人になったとき自分で出来ることは何だろうと考える日々は続いていた。
・自分に課したこと
それなりに歳を重ね、ある程度自分が歩んできた経験による自負心と自分の何を使って何をしていきたいかわからない恐怖心。そんな二つの心に揺れながら、大阪・姫路・加古川のイベントや勉強会に参加していた。
大阪では、都市デザインについてのセミナーに参加。そこには大学で教鞭を取る人たちやコンサルタントで実践を積んでいる人たちがいた。
姫路では、ひめじまちづくり喫茶やその他のまちづくりイベントに参加。そこでも、実際にまちの価値を上げる活動を生業としている人やNPO法人を立ち上げ活動をしている人たちがいた。
加古川では、地域のつながりを生かして活動している人や自分の好きなこと・得なことを生業として起業しようとしている人たちがいた。
何処の地域でも自分の言葉で自分の事を説明し自分を表現しようとしている人たち。そんな人たちは僕にはキラキラしていて凄い人たちに思えた。自分が選んだバッターボックスに立ってバットを振っている人たち。
じゃあ僕は?
よく分らないままではあったが、自分に一つ課題を与えていた。
月一回、仕事以外の人と必ず名刺交換をする
自分が何者かわからないが、絶えず「まちの声」に触れるカラダだけにはしておこうと思った。
・ニーズを満たしてくれる場所
ある日、仕事終わりに「ひめじまちづくり喫茶」に行った。その日のゲストがどんな人で、どんな話になるのか知らずに行った。
ゲストは公営住宅の団地でお昼のお弁当を配送している女性のお話だった。公営住宅、ニュータウンのオールドタウン問題は都市計画のみならず社会的な課題として取り上げられている。僕も多少はお役所が出すレポート等に目を通していた。でも、そこに現実感は無く、課題を解決するための画一的な対策が載っているだけだった。
一方、その女性のお話にはヒリつくほどの現実があった。その女性は自分が出来る範囲で栄養のあるお弁当を仲間と一緒に配達をしていた。志を持った人どうしで助け合いながらお弁当を配る。その普段のやり取りの中で地域の輪が広がっていた。また、こんなエピソードを紹介していただいた。ある時、いつもの配送先に訪れてチャイムを鳴らした、何度も何度も鳴らしたが返事ない。おかしいと思い、離れて暮している家族に許可を取り家に入ると住人が倒れていた。
僕は思った、お弁当を運ぶというコトは見守りにつながるということ。食は人間にとって必要不可欠なことで、食を通すことで人と人、命と命のつながりを生むということ。
お弁当を運ぶことは「まちづくり」だということ。
僕が20年間やってきたことは「まちづくり」だと思う。でも、僕は「それがまちづくり」だと思っていた。でも、その話を聞いた後では、自分がやってきたことは「それもまちづくり」であり、お弁当を配ること「それもまちづくり」ということを知った。
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・誰が話すのか
・何を話すのか
それを期待してイベントに参加するのもいい。でも僕にとって「ひめじまちづくり喫茶」はそういった場所ではなかった。
・どこで話すのか
「ひめじまちづくり喫茶」は「まちづくり」に関することをいろんな切り口で教えてくれた。
それによって僕が知らない「まちづくり」をいろんな角度で知ることが出来た。
「ニーズ(needs)」という言葉がある。そしてあまり知られていないが「ウォンツ(wants)」という言葉もある。
以前、少し読んだマーケティングの本にはこう載っていた。
ニーズ(needs)とは充足状況が奪われている状態
ウォンツ(wants)とはニーズを満たす特手のものが欲しいという欲望
例えば、”冷たいものが飲みたい”はウォンツであり、そこには”のどが渇いた”というニーズがある。
よく一般的に使われるニーズとは実はウォンツだと僕は思う。何か満たされないものがあり、それをある側面から映し出したときのモノやコトがウォンツであり、満たされない何かこそがニーズだと。そして、意外と自分自身がニーズを理解していないと。
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話は逸れるが、最近の政治で良く言われる”ポピュリズム(大衆迎合主義)”
僕は政治が市民のウォンツに応えすぎていると思う。市民が自ら発する声はニーズだけではなくウォンツも含まれている。もしかすると自分のニーズを理解せず、ウォンツだけを話しているのかもしれない。コーラしかない世界で市民が「コーラをくれ!コーラをくれ!」と言っていても、実はのどが渇いているだけでなく、走りすぎて疲れているかもしれない。そんなとき、政治は市民に刺激的なコーラを与えるのではなく、市民のニーズを丁寧に読み取り「ポカリ」を世の中に生み出し、そっと市民に与えてあげるくらいの度量がいると思う。
全く関係ない話をしてしまった・・・・。
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知らないことを知る楽しさ、知ることで自分自身がアップデートされ、何かを始める時の礎になる。僕にとってひめじまちづくり喫茶は僕の知らない「まちづくり」を多面的に教えてくれる場所だった。ゲストを通じて僕自身が気づかずに過ごしていたニーズを満たしてくれる場所だった。
自分は何者か?自分は何がしたいか?
明確な答えがない日々を過ごしていたが、「ひめじまちづくり喫茶」という場はいつでも僕に新たな世界を見せ続けてくれていた。
(つづく)
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