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なくしたものたちの国

大好きな作家、角田光代さんの本で『なくしたものたちの国』という一冊がある。

すぐに読める場所にいつも置いてある

角田光代さんが書いた5つの短編に、松尾たいこさんの挿絵がたくさんちりばめられている作品。
小説と絵がお互い邪魔することなく、かといって支え合うというほど依存するでもなく、程よい距離感で寄り添い合っている。

娘が「なにか面白い小説ないかな」とわたしに聞いてきたとき、一番に薦めた本だ。
SNSやブログなどでも今までなんども素晴らしい本だと紹介してきた気がする。


この本に出会ったとき、わたしは大事なものをなくしたばかりだった。

このnoteにも書いた、育ての父にもらった帽子だ。
デニム生地のハンチング。
はちが張っている父には少し小さかったらしい。
真新しいデニムのハンチングは私好みのステキな帽子だった。

まだベビーカーに乗っていた娘と夫と三人で出かけている時、わたしはその帽子をかぶっていた。
電車に乗って、ベビーカーに座る娘をあやしているとき気がついた。
いつの間にか帽子をかぶっていなかったのだ。
今まで経験したことのない、びっくりするようななくし方だった。
通ってきた道を頭の中で何往復しても、帽子をどこかに置いたり落としたりした記憶がない。たしかにかぶって出かけたはずなのに。
しばらく考えたけれどもう電車に乗ってしまったし、そのためだけに引き返すことも出来なかったのであきらめた。
もう二度と会えない父からもらったお気に入りの帽子。さようなら、と。


なくして、悲しくて、けれどその気持ちを心の奥の方に押し込んで、まあいいやどうってことないと思って過ごしているうちに、わたしは帽子をなくしたことなど忘れていた。
そんなときに出会ったのがこの本だ。


角田光代さんにしてはめずらしいファンタジーテイストではじまる5つの短編が、『なくしもの』をとおして緩やかにつながっていく。
読み終わったとき、わたしは泣いていた。
父からもらった帽子をなくしてしまったことと、父にもう二度と会えないだろうということ、どうしようもないただただ悲しいこととして心の奥に押し込むしかできなかったことが、全部救われたような気がした。

あとがきで角田光代さんがこう書いている。

何をなくしても決して世界は終わらない。そのことを本当に知るのは、ずいぶん経ってからだと思う。

『なくしたものたちの国』角田光代さんのあとがきより


どうして今、この本のことを書いているかというと、まさに昨日、わたしはまたなくしものをしてしまった。
水晶のブレスレットだ。
ゲーム実況チャンネルで毎月末に行っている雑談弾き語り配信でも、いつも左手首につけているのが映っている。

もともとスピリチュアルなことに特別興味があるわけではないが、33歳の厄年のとき七色のものを人にもらい身に着けると厄払いできるらしいと知り、夫に七色の天然石のブレスレットをもらった。
風呂に入る時も寝る時も肌身離さずつけていた。
その後、糸が切れたり厄年が終わり石を水晶だけに変えたりしたが、なんとなく接客業をするのに邪気を払えるのではないかとぼんやり思いながら気が付いたら10年以上も水晶のブレスレットをつけ続けていた。

昨日風呂上りにパジャマに着替えたときふと、ない!と思った。
仕事で手袋を外した時に一緒に抜け落ちたのか、着替えるときに落としたのか、まったく記憶にない。
”なくした”というより”消えた”に近い感覚だ。
家の中を探したがみつからない。職場か通勤途中にでも落としたのだと思う。

なくしてみると、わたしはこの水晶のブレスレットをお守りのように思っていたのだと気づかされた。
本当にお守りの役目を果たしていたかどうかは定かではないが、なんとなく悪いものを追い払ってくれているのだと思っていた。
けれど役目を終えたのだろう。
悲しむことはない。


大切にしていたものをなくしたとき、悲しむことはないのだと考えられるようになったのは、この本のおかげである。
何かをなくしても、決して世界は終わらない。
また会える。


【追記】5月5日、カバンの掃除をしていたら出てきました。水晶のブレスレット。自分で外してしまってたみたい…全く記憶にない笑。とにかく良かったです。

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