咲谷みわ

思い出がどんどん薄れていくのが残念で、自分の経験した少し不思議なもろもろを書き残しておこうと思ってはじめました。三十代女性です。娘が一人。

咲谷みわ

思い出がどんどん薄れていくのが残念で、自分の経験した少し不思議なもろもろを書き残しておこうと思ってはじめました。三十代女性です。娘が一人。

最近の記事

白昼百物語 三十九話目~蚊柱

今年九十四になる祖母は、数年前まで畑仕事をしていた。 子どものころほど頻繁に訪れなくなった祖母の家に、訪れた夏の日、耳の遠くなってしまった祖母は、私にトマトを食べさせようと家の前に作った小さな畑に私を連れていった。 そこには驚くほど太い蚊柱が立っていた。年に一度か二度しか蚊に刺されることのない、刺されにくい体質の私だが、さすがにその蚊柱には引いてしまった。祖母はその蚊柱に気がついているのかいないのか、ずんずんトマトを取ろうとして蚊柱に近づいていく。おばあちゃん、かばしら!とい

    • 白昼百物語 三十八話目~ドラッグストア

      大学院まで実家暮らしだった私は、就職を機に満を持して一人暮らしを始めた。仕事帰りにはよくドラッグストアによった。つらつらと化粧品を眺めたり、少し高い入浴剤に手を伸ばしてみたり、特に用事がなくてもよく足が伸びた。 その日もよく行くドラッグストアによって、歯ブラシなどをかごにいれ、いつものごとく化粧品の列をのぞいた。そこには男の人が一人立っていた。比較的若そうなその人は、商品を見るでもなく、ぼーっと立っている。何か皮膚病なのか、顔や腕の皮膚に黒い斑点が出ていて、服は汚れて、髪もと

      • 白昼百物語 三十七話目~籾山

        小学生のとき、友人と遊んだ帰りだったように思う。夏から秋にかけて、五時くらいでまだ暗くはなかった。帰り道の途中に田んぼがあった。刈り入れも終わった田んぼの真ん中あたりに籾を盛った小山があった。黄色いふわふわとしたそれに飛び込むと気持ちよさそうだ、などと思いながら歩いていると、それがざわざわと動いたのだ、風で動いている様子ではない。中に猫か何かが紛れているのだろうかと、立ち止まってその動く籾山を見つめた。 もこりもこりとそれは波打つように動いている。三つほどあった籾山はもこもこ

        • 白昼百物語 三十六話目~一人足りない

          昔から消えない不思議な感覚がある。家族や友達といると、なぜか一人なりないような気がするのだ。 あれ、誰かいないと思って数えると、みんないる。誰か来る予定の人が来ていないというようなこともない。そもそも家族なぞ、数える必要もないのだが、やはり時折ふっと、一人足りない、と思うのだ。 誰かがいない、というのと少し違う。一人足りない、とそう思うのだ。 生まれた家族から離れて一人暮らしをして、そして今は結婚して、主人と娘と三人で暮らしている。数える必要もない三人暮らしである。しかし、

          白昼百物語 三十五話目~イチジクの木

          父方の祖母が亡くなったとき、祖父はすでに亡くなっていて息子たちは別に暮らしていたために、祖母の家は住む人を失ってしまった。古い家ではあったが、それまで問題のなかった家の天井が、祖母が亡くなるまでなんとか持ちこたえていたというように、崩れてしまった。 母方の祖母はまだ健在であるが、高齢のために自由に動くことは困難になって、畑仕事も庭仕事もできなくなってしまった。祖母がその実がなるのを楽しみにしていたイチジクの木が、その実の喜ぶ人が来なくなって一気に枯れてしまった。 大事にしてい

          白昼百物語 三十五話目~イチジクの木

          白昼百物語 三十四話目~ひっぱられる

          ひっぱられる、ということがある。以前病院に勤めているとき、年末年始にまとまった休みを貰えて、休み明けに出勤したときに、危ないと言われていた患者さんがかなりの数亡くなってしまっていた。みないつ亡くなってもおかしくはなかった方であったが、その数に驚いた。看護師さんがぼそりと、Aさん(年末年始の期間に最初に亡くなった患者さん)は寂しがりだったからねぇ、といったのが忘れられない。 家の近くにある比較的大きな交差点は見通しもよい普通の交差点である。幹線道路であるため交通量は多いが、特に

          白昼百物語 三十四話目~ひっぱられる

          白昼百物語 三十三話目~日傘のひと

          娘はまだ小さく、私は娘の下校時間に合わせて途中まで迎えにいっている。家から学校までけっこうな距離があるため、めんどうだという気持ちもあるが、私を見つけて満面の笑みで駆け寄ってくる娘を見るのはいいものだ。 冬の降雪時もつらいが、夏のほうがやはりつらい。ネッククーラーを持って日傘を差して歩いていく。それでも家に帰りついたときは全身汗びっしょりである。最近は汗をかくのはサウナくらいなものだから、それもまた楽しいと言えば楽しい。 私が小学生のときは、家が近かったこともあって特に母が迎

          白昼百物語 三十三話目~日傘のひと

          白昼百物語 三十二話目~トイレの花子さん

          こどものころにしたことなので、許してほしいのだが、小学生のころのことである。三年、四年だったか。放課後のクラブのあとだっただろうか、少し遅い時間に一人トイレに入っていた。クラブ活動場所の近くの、あまり人通りの少ないトイレである。そこはなんとなく薄暗いせいか、校舎のはじにあるせいか、トイレの花子さんが出るという噂のある場所だった。私の入っていたのは、その花子さんが出ると噂の場所の隣のトイレだった。入ったときはトイレは全て空いていて、用を足しているときも誰かが入ってきた気配はなか

          白昼百物語 三十二話目~トイレの花子さん

          白昼百物語 三十一話目~スプーン曲げ

          ユリゲラーがテレビでスプーンやフォークを曲げたころ私はまだ生まれていなかった。しかし小学生のころ再び心霊やオカルトがよくテレビでとりあげられる時期があって、ユリゲラーのこともそれでみな知っていた。 テレビでユリゲラーの特集があった次の日、もちろん私たちは給食のスプーンを曲げようとした。そして私も含め、何人かが本当に曲がってしまって、怒られるのを怖れた私たちは慌ててそれをもとに戻した。 実際にユリゲラーがテレビでスプーンを曲げたとき、テレビを見ていたこどもたちの多くがスプーンを

          白昼百物語 三十一話目~スプーン曲げ

          白昼百物語 三十話目~学校の怪談

          小学生のころ学校の怪談という映画が好きだった。当時大ヒットしてたしか4まで作られたはずで、全て映画館に見に行った。特に1と2はコミカルな要素も多く、ビデオをレンタルしてきては何度も見た。懐かしくて最近見直したのだが、やはりいい映画だった。本当にあったら嫌だろうが、子どもだけの一夏の怖い体験がなんだかうらやましかった。 学校の怪談1の中で、男の子のいたずらで教室の天井に赤い手形が発見されてみなが怯えるシーンがあった。映画の中ではすぐにそれはいたずらだとばれるのだが、当時私の小学

          白昼百物語 三十話目~学校の怪談

          白昼百物語 二十九話目~お化け屋敷

          憶えている人はどれだけいるだろう。昔石川県の卯辰山にサニーランドという、動物園と水族館と遊園地が一緒になった施設があった。1993年に老朽化と客足の減少で閉鎖されたのだが、私のこどものころにもすでに設備はなかなかに古びていた。 たしかゾウがいたと思う。それくらいの記憶である。なにせ幼稚園のころだ。 遊園地のほうにはこれまた古びたお化け屋敷があった。乗り物にのって進んでいくタイプのお化け屋敷で、人形も飾りも年季がはいっていたが、幼稚園児の私には恐ろしかった。あれが私の最初のお化

          白昼百物語 二十九話目~お化け屋敷

          白昼百物語 二十八話目~迷子の木

          昔から方向音痴である。車に乗ってもすぐにナビを頼るから、なおさら道を覚えられない。幼いころもすぐに道に迷った。母と伯母とデパートに行ったとき迷子になった。すぐに何かに気を取られるぼーっとした子だった。気がつくと母も伯母も見えなくなっていた。たしかいくつか年上のいとこも一緒だったが、私一人である。 あの心細さ。走り回って泣き出して、おそらく誰かがサービスカウンターに連れていってくれたのだろう、放送をかけてくれて無事に母と再会できた。階段の前でのぼろうかおりようか、それとも動かず

          白昼百物語 二十八話目~迷子の木

          白昼百物語 二十七話目~黒い男

          小学校四、五年生ごろ、いつもの通学路である。いつもの友人と学校から帰宅の途中、クラブの帰りだったのか、すでに空は夕方の気配を漂わせていた。あのころどれだけ話しても話し足りなかった。何をそれほど話しこんでいたのだろう。おかしくておかしくて仕方なかった。噂話やクラスであったこと、恋の話もしていただろう。今は友人と食事をするときは子供の話ばかりになる。しかし本質は変わっていない。内容なんて大した問題ではないのだ。ただしゃべることが楽しいのだ。きっともっとおばあちゃんになっても、私は

          白昼百物語 二十七話目~黒い男

          白昼百物語 二十六話目~顔

          子どものころは自分の顔が苦手だった。子どものころと言っても、幼稚~園に通っていたころのことである。小学生にあがって遅くとも三年生くらいにはその感覚はなくなっていた。 他の友達がうらやましかった。どうしてみないつも同じ顔でいられるのだろう、と。それに輪郭がくっきりはっきりしている。 私の顔は、ときおり違う顔に見えることがあった。そして輪郭がだぶっているような、曖昧に見えることがあった。 それが怖いというよりも、何か不安だった。自分の顔がどれなのか、わからなくなりそうだった。 い

          白昼百物語 二十六話目~顔

          白昼百物語 二十五話目~ケーキ

          小学生三年生くらいのときだろうか。友人の家でケーキを作った。何用のケーキだったのだろう。多分、クリスマスだったと思うが、おしゃれさは微塵もなかった。 手作りケーキと言っても、材料がすべてセットになったものを使ったので、混ぜたり量ったりするくらいだったが、あぁでもないこうでもないと騒ぎながら、ときには揉めながら作った気がする。 クリームも混ぜて泡立てるだけだったのだと思う。 大騒ぎしてケーキは出来上がった。親に手伝ってもらわず、子どもたちだけで作った。やっと食べれるといさんでみ

          白昼百物語 二十五話目~ケーキ

          白昼百物語 二十四話目~ドッペルゲンガー

          小学生のときの記憶が曖昧だ。みなどれほど憶えているのだろう。掃除のときにずっと嵐の曲が流れていたこと。掃除をさぼって窓辺で友達と話していたこと。何をそれほど毎日話していたのだろう。今頑張って思い出してみたが、何一つ思い出せない。 玄関ロビーに飾ってあった誰がとったのかわからないトロフィー。階段の踊り場の大きな鏡。七不思議にも数えられていた遊技場の窓に浮かぶ白いお墓の形の汚れ。休み時間に竹馬をしていたこと。竹馬が得意な子が休みだったために彼女の代わりに出た竹馬披露会(?)で失敗

          白昼百物語 二十四話目~ドッペルゲンガー