行く前に知って欲しい事 今からでも遅くない
日本との関係の裏側で起きていたこと
ここまで バリ島(インドネシア)の歴史 オランダ以前と以後VOC の流れを説明してきた。さてここからは「日本」なんだけど、日本史的には「鎖国」って概念が邪魔して「正史」として語られていない部分が多数ある。で、1623年のアンボイナ事件だってまともに教えられていないのが現実。「浪人さんがアンボイナ」って覚えろって思うけど、例えば有名な「受験世界史サイト」では以下のような文章になっている。アンボイナとは、アンボンともいい、東南アジアの島嶼部を構成するモルッカ諸島とバンダ諸島の中間にある小さな島々。アンボイナ事件は、1623年におこったオランダ東インド会社とイギリス東インド会社の衝突事件。香辛料貿易を巡る両国の対立であったが、結果としてオランダがイギリスの勢力を東南アジアから駆逐するきっかけとなった。また事件には日本人がからんでいたことで注目される。アンボイナ事件 (y-history.net) とある。
WIKIだと、この当時(江戸時代)の日本は、戦国時代が終り、関ヶ原の戦いの後の大名改易により大量の浪人が発生した。生活に困窮した浪人の中には欧州や東南アジアの傭兵として東南アジア方面に渡航する者も多く、アユタヤやプノンペンには日本人町が形成されるほどであった。アンボイナ島にも、傭兵として勤務する者もいた。1623年2月10日の夜、イギリス東インド会社の日本人平戸出身の傭兵・七蔵がオランダの衛兵らに対し、城壁の構造や兵の数についてしきりに尋ねていた。これを不審に思ったオランダ当局が、七蔵を拘束して拷問にかけたところ、イングランドが砦の占領を計画していると自白。直ちにイギリス東インド会社商館長ガブリエル・タワーソン(Gabriel Towerson) ら30余名を捕らえた当局は、彼らに火責め、水責め、四肢の切断などの凄惨な拷問を加え、これを認めさせた。当局はタワーソンをはじめイギリス人9名、日本人10名、ポルトガル人1名を斬首して、同島におけるイングランド勢力を排除した。実際にイングランドが襲撃を実行しようとしていたという自白の信憑性は低いものと考えられており、事件当時オランダ東インド会社総督であったヤン・ピーテルスゾーン・クーンは、自国の貿易独占を主張し、本国政府の対応を弱腰と非難していたため、事件は彼の仕組んだ陰謀であるとの説もある。
で、ここで注目して欲しいのは「日本」の存在。もし「鎖国」が無ければ、って「南進論」を語る気はないけれど、ひょっとすると「武士は傭兵スイス人」ってのも無かったかもしれない。だってこの結果として「オランダ」って国が形成されていったのは誰もが認めるところでしょ。そのオランダを支えたのがVOCであり、植民地のインドネシア。いや、ここでオランダ領が無ければアセアンの国家構成は変わっていたと思ふ。New AMSも無いだろうし。そうすると奴隷貿易も無かったかもしれない。でも、その結果としてはVOCが好き勝手できるようになっていったのだよ。
VOCの為の社会インフラを整備し、その地を支配するためにアジアではかなり古い時代から鉄道を建設し始めたわけだ。例えば、On 7 June 1864, Governor General Baron Sloet van den Beele initiated the first railway line in Indonesia on Kemijen village, Semarang, Central Java.更にあのAmbarawaに続くのだ。https://fujinosekaic.hatenablog.com/entry/20230823/1692755412
https://fujinosekaic.hatenablog.com/entry/2019/12/21/120831
このボランティア活動した孤児院があるのがJAVAのスマランです。
https://video.wixstatic.com/video/d3aa22_c477ec10272d4c4d91bc1725e97860f4/480p/mp4/file.mp4
そのスマランで日本の占領時代に何があったか次回に。
占領期と26050817
戦後賠償と根本 七保子(ねもと なおこ)
スハルトとアジア通貨危機
メガワティと民主化
テロ事件と楽園(リゾート)の課題
グリーンスクールとビーチクリーン