かをるふみ Ⅰ
近頃熱読していたのは、「細川日記」なる文章です。終戦間近の政治を舞台に、あくまで冷静に居ようと努める熱情の塊が、右に左に揺れ動く様が、そこにはよく描かれてありました。
筆者は、侯爵細川護立が嫡男、護貞。近衛文麿元首相の側近で、当時軍令部出仕の海軍大佐高松宮殿下の耳となり、政界、軍部、民間の有り様を、東奔西走して伝えるのでした。
それぞれ立場はありましょうから、敢えて政治のことには触れないとしても、非常に淡白に文章が連ねられてありながら、その狭間にほとばしる熱は面白かった。作りものだろうが、事実であろうが、駆り立てられる文章にはなかなかお目にかかれるものではないから、久しぶりに寝食を忘れて読んだのだけれど、しかし、読み終わって思うことには、二度と読めるようなものではない。
なかなかむつかしい問題だと思います。あの面白さは、思想の力強さゆえのものだったのだが、その思想があまりに時に即したものであったから、知識として一度、内閣の勃興だとか、前線の進退を覚え込んでしまえば、もう用済みだということになる。
これに比して考えるのは、やはり平家物語のことで、あれも大概政治文章だったはずが、現代の私は、源平武者の一挙手一投足に熱中することになる。
あの魅力は何か。歴史に晒されて、思想が磨かれるのか、はたまた消し去ったか。細川日記も何度読んでも拭い去れない輝きを放つ時が来るのかどうか。しかし、それを考えるとき、戦に敗れて百年は立ち直れぬと嘯いた軍人の言葉を思い出します。最早、敵に和を乞うてから八十年に垂垂としている。
ヴァルター・ベンヤミンをまだ読まないから、私は怠け者です。
実は去年の秋口から妙に気になりだして、方々の古本屋を訪ね歩いたけれども、どういう事情か知らないが、彼自身の文章は見つからず、彼を論じた本ばかりある。仕方がないから、彼の一生を絵入りで記した文庫を買って、諦めることにしました。
その本はなかなか良い本で、何が良いかと言うと、絵が良い。切り絵の、幻想的なタッチなのです。漫画の様な作りで、どんどん読めるが、それは結局絵ばかり追っているだけだから、終わってみればベンヤミンが何だったのかさっぱり分からぬ。顧みれば、何の役にも立たぬ様でした。
早稲田通りに五十嵐書店という、こざっぱりした古本屋があって、仕事場が近いから、時々職場を抜け出して行くのだけれど、今年のはじめ、丁度「複製技術時代の芸術」が置いてあったから、大層驚きました。どこを探しても無かったのに、案外身近にあるものだと、幸せとは何かを知る様な気持ちで、早速求めたのですが、そこから全く何もしていない。多少パラパラめくって、それで満足してしまいました。
そうして無為の時間を長らく過ごしていたのですが、その折に触れて思い出すことには、芥川龍之介が谷崎潤一郎と論争した、「小説の筋論争」。あれは大変面白かった。彼らはそれぞれ、連載「文系的な余りに文芸的な」と「饒舌録」とを牙城にして、互いに議論ではないと言いながら、論駁し合ったのでした。
あれは、日本近代文学の一大ターニングポイントであったことは、間違いないでしょう。彼らの主張は、あたかも予言の様に、その後の文学潮流をぴたりと言い当てていたのですから。
近代文学の転換点はそれまでにいくつかあって、没理想論争、白樺派、新感覚派の出現と、目まぐるしく文学が変化していった訳ですが、小説の筋論争がもっとも重要な意味を持つことは疑いない。しかし、疑いはないのだけれど、どういう理屈でそうと言えるのか、芥川の服毒死によって議論が突然終わりを迎えたこともあり、なかなか真相を掴みづらいところがあります。
谷崎がはじめに、「近頃は特に、作りもの、嘘でなくては小説はつまらぬ」と言う。ここから作品の内容充実と一般的には受け止められる谷崎の持論が展開されます。それに対して芥川は、御説は誠によく分かると前置きしつつ、しかし小説は、言葉が何かを指し示す道具ではなく、言葉が言葉に還ってくるような、小説そのものの自律性が何より必要なのであって、謂わば「詩的精神」が不可欠なのであると説きます。
二人の議論はもとより食い違います。谷崎は芥川が何を言っているか理解できないようだし、芥川も理解されていないことに焦っているようでした。何より彼らが行き違ったのは、芥川が小説の筋自体は存在してしかるべきという前提で話を進めたので、谷崎はそれを否定してくると思った芥川に肩透かしをくらって、余計理解に苦しんだことにありました。
芥川は順序の話をしていたのではないか。小説に筋は当然存在する。しかし、それは作るものではなく、小説を書けば当然生じるものだから、わざわざ作為を加えなくてもよいのである。むしろ言葉と言葉の引力を信頼して、これに身を任せる様に書く。芥川は小説そのものを見極めて、ついに理想を見つけたのです。
しかし谷崎はそんなことにお構いなく、どしどし前に進んでいこうとする。彼にとっては小説を書くために何が出来るかだけが問題であり、行動から乖離した理屈などは無用の長物に他ならない。二人のやりとりは、彼らの性質が剥き出しのうちに衝突したものでもありました。
芥川と谷崎は、衛星の様に問題の核心を周回しながら、ついに交わることがなかった。その核心こそ「アウラ」の問題では無かったかと私は思うのです。
小説が複製芸術になるという文学史の境目に彼らは立っていた。そのことを指摘した小林秀雄の懸賞論文が、そういう時代だからという理由でプロレタリア芸術論に一等を譲ったことは、余りに象徴的です。
芥川と谷崎は、あくまで作品にアウラを保持していなければならないと考えた。アウラが無ければならぬと訴える芥川に、そんなことは分かりきっているから、実際文士は何をすべきか言ってみよと詰め寄る谷崎。芥川は何も答えられないのです。
芥川の死は、まさにここにあると思います。芥川はアウラを誰よりも明瞭に見ることが出来ながら、掴むことが出来なかった人です。その傍で目を瞑りながら、それに触れる人がいるのだが、そのようなことは決して出来ない。しかし目を逸らすこともできないから、解放されぬ肉体は矛盾を抱え続けて、ついに真っ二つに折れてしまったのでしょう。
芥川が発見したのは、直感による根本的な意味での偶発的創作であった。言葉の消滅と再生のダイナミズムがそのまま露わになるような文学。彼はそこに引き込まれていったのです。
かようなことはベルクソンが突き詰めた事柄に違いないが、そのベルクソンは将来文学はどうなるでしょうかと聞かれたとき、こう答えた。
「私はそのようなことは考えない」
ロシアのウクライナ侵攻が現実の出来事になってしまって、道義上どうというのは最早言うまでもないことだから、敢えてこれは差し置くとして、先日NHKがこの戦の特集をやっていたから、何となく見ていたら、プーチンの戦争目的はソ連邦の復活と論評していたので、大いにたまげてしまいました。
本当にそんなことを考えているのかどうか、荒唐無稽だとは思うけれど、しかし実際に出兵したのだから、常識的に判断する方がおかしいのかもしれない。その真偽を別にしても、事実NHKはそう考えている。
いずれにせよ私は、国家の不行儀の理由まで老いたと思われずにはいられませんでした。
嘗て祖国は、アジアを焼き尽くしながら、東亜新秩序なるものを謳った。それは、一億の食い扶持のため、満蒙を生命線と決めたことに始まるのですが、その国民を食わす生命線はどうやって飯にありつくのか、そこまでは考えていなかったのが、共栄、新秩序の高邁な理想でした。
しかし、新秩序とは成程、国が若くなくては出てこぬ言葉だと感心します。あの時代、日本は、はちきれんばかりの衝動を内側に溜め込んで、ついに自ら吹き出させ、戦争に姿を変えた。それが今や帝国の復活とは!嘘でも方便でもなく、真剣に叫んでいるのだとしたら、それこそ世界は、核を使うまでもなく老衰で滅びるでしょう。
私は、戦を止められなかった文学に何の意味があるのだろうと本当に思います。それは筆で抗議をするというような、その場限りの英雄譚ではなく、国を鎮め、常に清新をもたらす日常の創造的営為。これこそ文学だと言って然るべきだと、私は思うのです。
過去を参照する正しい態度が、私たちに求められているのだと思います。私たちが過去なのではなく、過去が私たちなのです。
こころはいつでもあたらしく、毎日何かしらを発見する。
過去は断じて発見されなければならない。